| ■イソザキ時計宝石店■ |
| 時計の小話 |
第91話(日本時計師会について) 大阪市に本部があった日本時計師会についてお話しいたします。CMW合格者が集まって作った時計技術者団体・日本時計師会は、大阪を中心にして大きく発展いたしました。時計技術に関してはハッキリ言って西高東低でした。時計メーカーも一目置く存在でした。支部は北海道から沖縄まで日本各地19都道府県にありました。最初は米国時計学会日本支部と言い、それが発展し日本調時師協会となり、S43年に日本時計師会に改名されました。最高顧問には大阪大学名誉教授・篠田軍治先生(井上靖原作の小説の題材になったりした高名な先生・CMW試験学科一位には篠田賞)、名誉会員には山口隆二先生(一橋大学名誉教授)、井上信夫先生(日本最高の時計修理技術者・CMW試験トップ合格者には井上賞)、会長には飯田茂先生(飯田時計精機社長)、副会長には末和海先生・小林敏夫先生(大阪府立生野工業高校校長)、理事に岩崎吉博・飯田弘・北山次郎・小野茂・下土居隆三・岡本清治・上野益男各諸先生、幹事には加藤日出男先生・多田稔・小原精三・杉田昌幸各諸先生、監事には嶋繁樹・宮脇俊一先生、支部長には石川力・関周三・今井広義各諸先生等々、と言う、当時の日本を代表するそうそうたる技術者が集っておられました(まだまだ現役で今でも仕事をしておられます先生は一杯おられます)。 機関誌「グノモン」「調時」を発刊して日本の時計技術のレベルアップに多大な貢献を果たしました。主な活動の目的は、日本各地に出向いて時計技術の研究会・講習会・メーカー見学会等の実施、CMW公認高級時計師試験の実施、日本の時計店の技術のかさ上げのための地道な諸活動、時計技術業界に功績があった人への顕彰などが主な活動でした。CMWを受験するためには、日本時計師会支部長と、もう一名のCMW取得者から技量を認められて推薦を受けなければ、受験さえ出来ませんでした。非常に権威のある超難関の試験でした。4月に大阪市内で行われたCMW合格認証式には、そういった著名な諸先生が日本各地から来賓としてこられ、大変緊張したものでした。一方、東京には石川力・関周三先生を中心にして関東時計研究会があり、毎月一回講師を呼んで勉強会を開いておられました。村木時計(現(株)ムラキ)が菅波錦平先生(米国時計学会ヘイガンス賞受賞)・江波一郎・石塚要先生を中心に時計通信教育及び月刊誌「時計技術」を発行しておりました。時計学校は大阪府立生野工業高校時計計器科、滋賀県に近江時計学校(現在も存続中)、名古屋に春芳時計学校がありました。 第92話(スイス時計・モバードについて) モバードと言えば懐かしがる中高年の方も沢山おられると思います。創業は1881年と意外に古く、ラショードフォンで興しました。当時は完全なマニュファクチュールで高精度のメカ時計を生産しておりました。ニューシャテル天文台コンクールにも参加しており、いつも上位の成績を残しておりました。特に1956年、57年、58年は、3年連続トップの好成績を記録しておりました。そのことから解るように、非常に良い機械の時計を作れるスイス時計メーカーの一つであることには違いないのです。30年ほど前にこの業界に入った頃、モバードは、ナルダン・IWC・ロンジン・オメガ・ユニバーサル・ブローバと共に日本ではかなり人気があり、実力も兼ね備えておりました。特にモバードの自動巻クロノグラフ「デイトロン」は、ゼニスと共同開発したエルプリメロを搭載しておりました(ゼニスばかり有名になりましたがモバードもこのクロノの開発に参画していたのです)。勿論、薄型(6,5mm)の36000振動で、ブライトリング・ホイヤー・ハミルトンの3社の共同開発したクロノマチック(18000振動)の機械よりも数段上で、精度もかなり正確なものでした。アンティーク市場でモバードのクロノグラフが人気があるのもうなずけるものです。メンズの自動巻腕時計「キングマチック」、レディスの自動巻腕時計「クィーンマチック」も素晴らしいメカニカルな腕時計で、私の脳裏にハッキリ刻みつけて記憶しております。モバードの潜水用腕時計「スーパー・サブ・シー」も優れ物で、今でも通用する見事なデザインでした。このように高度の技術力を持っていたモバードが最近クォーツ腕時計ばかり作っていることに、モバード・ファンの方には不満があるのではないでしょうか。昔からデザインには定評があり、現行のモデルの時計を見ても痺れるものを感じます。1日もはやくETA社製ではなく自前のメカ式機械を開発して売り出して欲しいものです。それが出来る時計メーカーだと私は思います。現在の日本総輸入代理店は大阪の栄光時計です。栄光時計と言えばかって関西一の大規模なセイコーの卸商でした。余談ですが先代の栄光社長は、世界のセイコーに育て上げた服部時計店社長・服部正次氏に可愛がられ、押しも押されぬ業界有数の卸商に発展いたしました。人との巡り会いによって人生は大きく変貌するものと痛感致します。人生の達人はきっと佳き人との邂逅を素晴らしい巡り会いに変えていくことが出来る人だと私は思います。 第93話(シチズン・クロノマスターについて) グランド・セイコーに対抗してグロリアス・シチズンがあったように、キング・セイコーに対してシチズン・クロノマスターがありました。キングセイコーに優秀級クロノメーターと普通級クロノメーターがあったように、シチズン・ クロノマスターにも2通りのクロノメーターがありました。今から31年前に売り出されました。シチズン・クロノマスタースペシャル(優秀級クロノメーター)は自動巻・デイデイト付き・防水・秒針停止装置付き・35石で、当時の価格で39000円でした。シチズン・クロノマスター(普通級クロノメーター)は自動巻・デイデイト付き・防水・秒針停止装置付き・33石で、当時の価格で29000円でした。手巻きのタイプもありました。これらの時計には日本クロノメーター検定協会の合格書とメダルが添付されておりました。アンティーク市場ではグランド・セイコー、キング・セイコーばかり取りざたされますが、シチズン・クロノマスターもそれらに負けない素晴らしい精度が出るメカ式時計でした。しまい込んだ箪笥の奥に父親の形見としてあるかもしれません。もしあれば、セイコーGS・KSよりも生産個数が極めて少ないために高額なプレミアムがつくかもしれません。一度家捜ししてみてはどうでしょうか? 第94話(オメガの廉価版の名機Cal、601について) オメガにはトップにコンステレーション・デビル・シーマスター・スピードマスター等のシリーズがありました(今でもそうですが)。最下位価格帯に、入進学・就職祝い向けに「ジュネーブ」シリーズがありました(これは今ではうち切られています)。「ジュネーブ」シリーズに搭載されたCal、601は、手巻きカレンダー付きの名機だったと私は思います(自動巻Cal、550は1959年に開発され、Cal、601のベースになりました)。1964年に開発され、日本円にして3〜4万円ほどで当時売られました。廉価版といえどもセイコーK・Sよりも価格は高かった記憶があります。 時計屋の息子だった私が初めて父親から貰った時計は、高校入学時にセイコーマチック腕時計(当時で6000円位・それでもイイ方)でしたが、友達の医者の息子がオメガ・ジュネーブ をはめているのを見ると、情けない話ですが嫉妬を覚えたものです。ムーブの厚さは3,85mmと薄く、19800振動のロービートで17石を内蔵しておりました。地板等は全てキレイに金メッキが施され、美しい輝きを放っておりました。簡単に高精度が出る美しい完璧な機械でした(今ではこんな素晴らしい機械の入った新品の腕時計を買おうと思ったら、二十万円出さないと買えないと思います)。当時のオメガ社はいろんな人々向けに多種多様の機械(キャリバー)を続々と生産しておりました。1926年から1970年の44年間に、160種類以上の機械を開発し発売に漕ぎ着けました(婦人用キャリバーにも幾多の名機があります。婦人用キャリバーの豊富さもおそらく世界一だと思います)。現在では1機種開発するのに2〜3年(金額にして数億円)かかりますが、当時のオメガ社は1年間に平均4機種を毎年新開発していた計算になり、その計り知れない底力に驚愕するばかりです。これは他のスイスメーカーにとても真似の出来ない、追随を許さないオメガ社の独壇場でした。まさしく、当時のオメガ社は生産量・高精度腕時計生産力・新製品開発力・人気・知名度・ステイタス性などで紛れもなくダントツで、総合力・世界一だったに違い有りません。ロレックスでさえもオメガ社にはとても対抗できずに、一目も二目も置いていたでしょう。当時のオメガ社は本当に凄かったのです(失礼ながら日本のトップメーカー精工舎などは、お側にも寄れない大きな存在でした。30年前には歴史に残る世界最強の時計メーカーだったでしょう)。そんな強大な無敵のオメガ社が、東洋・日本のセイコー・クォーツに屋台骨をグラグラにされて しまうとは誰が想像できえたでしょうか?ところでアンティーク市場でオメガの腕時計が余りに安いのにはビックリしています。数が多いから希少価値がないためでしょうが、もう少し高い評価を受けてもイイのではないで しょうか(30年ほど前のどのオメガも素晴らしいメカ式機械が内蔵しているのに不当に低い評価だと 思います)。アンティークの入門品として、私は一番のお薦め品がオメガ腕時計です。アンティークとしては当たり外れのない本当にイイ機械のメカ式が入っているのがオメガ時計です。 第95話(時計旋盤の名人・大川勇先生について) 東北の岩手地方に在住しておられました時計旋盤の名人・大川勇先生のことを書きたいと思います(菅波錦平先生も東北のいわき市に住んでおられました)。私がこの業界に入った頃にはすでにご高齢でおられました。面識は一度もなかったのですが、先生のお書きになった2冊の本は、生涯私には大変役に立ちました。その本の名は「通俗時計学」いわき時計技術研究室発行・「時計旋盤工作」(株)村木時計発行でした。どちらの本ももう絶版ですが、とても素晴らしい内容の深い本でした(これからの若い技術者の皆さんには何とか入手して是非読んで貰いたい本です)。井上信夫先生も絶賛して、購読を勧められておられました。大川先生が何十年にも渡り苦労して会得した技術を惜しげもなくさらけだして、未熟な技術者の指針になるように書かれておられました。一般的には、苦労して修得した時計技術を他人に教えることに抵抗を覚える人が多い閉鎖的な時計業界でしたが、大川勇先生は率先して自分の技術を披瀝されておられました。先生のその行動パターンは模範となるような立派なものでした。わたしの技術向上にも非常に役に立ちました。時計旋盤技術のことがサッパリ解らなかった私は、若いとき恩師のK先生から教えを乞うために3〜4回大阪に出向きました。全くの初歩から親切丁寧にK先生は手取足取り、お教え下さいました。1本のスチィール棒から天真・巻真が出来た喜びは大変なものでした。 K先生から教わった基本的な旋盤技術と大川勇先生の本は、私にとってそれ以降とても役に立ちました。30年ほど前には日本では松田光製(アロー旋盤2種類)・ゼム製時計旋盤(アバンテ号)の3種類がありましたが、今では生産をどちらもストップしております。現在ではスイスベルジョン製・アメリカボーレー社製等、何十万円も出さなければ買えない高級時計工具になってしまったのは至極残念です。機械時計の修理が増えてきた今、再度若い技術者のために低価格の時計旋盤を日本で生産再開して欲しいと願っております。時計旋盤技術は時計修理の根本であり基本なのです。時計旋盤を自由に駆使できてこそ一人前の時計修理技術者なのですから。 |
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