■イソザキ時計宝石店■
時計の小話



第211話(シチズン・音叉式ハイソニックについて)

最近、メールで音叉腕時計の修理依頼の問い合わせがよく来ます。しかし動力源の電池である1.35VVの水銀電池が生産終了で入手出来なくなり、お断りせざるをえない状況です(一時的に動かす事は出来るのですが、弊店ではその方法は選択していません)。音叉腕時計は皆様がご存じなように、1690年にブローバ社が開発売り出した高精度のエレクトロニクス腕時計です。それまでのゼンマイで動く高級機械式腕時計(クロノメーター級)の精度を遙かに凌駕する、正確さを持ち合わせていたために消費者の方は驚嘆したものでした。でも当時の価格で、10万円前後という高価格帯であった為になかなか普及いたしませんでした。それに目をつけたシチズン社(当時の社長・山田栄一氏)がブローバ社と技術提携をして1975年に資本金9000万円で(株)ブローバ・シチズン社を立ち上げ、山梨県富士吉田市に大規模な工場を設立しました(富士山の裾野にそれは見事な工場群が出来上がったのです)。当初月産18,000個、年産50万個のペースで、従業員は320名という社運を賭けた大規模なプロジェクトでした。生産効率を高めた為に、画期的なコストダウンに成功して、小売り価格2万円台にまで下げる事に成功したのです。このことによりシチズン製音叉腕時計ハイソニックは爆発的な勢いで普及するだろうと業界関係者に思われていました。しかしながら、そのシチズン経営陣トップの思惑は見事に外れてしまったのです。そこまで行きつくまでに、シチズン社が大変な努力をしたにもかかわらず、ライバルのセイコー社が音叉よりはるかに精度の良い廉価版の水晶発振腕時計(セイコークォーツタイプ2)を売り出した為に、悲しいかなシチズン音叉時計ハイソニックは、セイコークォーツに負け、市場に登場してわずかな命で消え去る運命になったのです(音叉腕時計に固執し過ぎたためにシチズンはクォーツの開発に他社より出遅れたと言えるかもしれません)。おそらく、アンティークウォッチ愛好家の方でシチズン・ハイソニックを所有している方は、非常に少ない数だと推察しています。万が一いつの日か、1.35Vの電池が製造メーカーにより再生産されたなら(難しいでしょうが)、改めて見直しされる腕時計と思っています(何故ならインデックス車は直径2.4mmに320個の歯が切ってありコイルの電線の太さは毛髪の5分の一,十数ミクロンという極細でした。当時としては驚くべき技術だったのです。機械時計のように音叉腕時計にも見事な復活が将来あり得るのでしょうか?)

第212話(ロレックスの仕入れについて)

今から30〜40年ほど前は、ローレックスの日本輸入総代理店はスイスの商社『リーベルマン・ウェルシュリ&カンパニー』社でした。リーベルマンの日本支店は、東京・大阪・名古屋・福岡にありました。
当時はどんな大手の時計店でも、直接(株)リーベルマンから仕入れをせず、日本各地にあるローレックス販売卸代理店から、定価の66.7%の掛け率で仕入れていました。当時の主な販売卸代理店は東京地区では、『一新時計(株)』、『(株)太陽商会』、『(株)日新堂』、『(株)吉田時計店』、『(株)伊勢伊時計店』、『(株)堀田時計店』であり、大阪地区では、『栄光時計(株)』、『(株)光貴』、『(株)河合時計店』、『(株)福田時計店』でした。その頃は、並行輸入品はほとんど流通しておらず、どこの時計店でも正規品を仕入れて販売しておりました。その当時はローレックスという時計は時計が好きな一部の裕福層の方のみが知っているブランドであり、日本でもそんなに数多く売れてはいませんでした。地方の時計店の店頭にもほとんど飾ってありませんでした。私が父親の店を手伝っていたときでも、年間に2〜3本程しか売れなかった記憶があります。当時の高級スイス時計と言えば、圧倒的に知名度が高く人気があったのは、『オメガ』で、その下に『ラドー』、『テクノス』、『ティソット』であり、そのオメガの上級にあったのが『インターナショナル』、『ユニバーサル』でした。さらにその上の位置に占めたのがローレックスでした。全くの高嶺の花の時計だったのです。 今では、日本人の所得も世界の高水準レベルにまで達し、ロレックスといえども、誰もがちょっと無理すれば買える時計になったのです(今日のパティック、バセロン、オーディマが30〜40年前のローレックスの立場だったのかも知れません)。 当店は、創業以来ローレックス販売卸代理店から仕入れていました。それでも充分お客様のニーズに対応出来たのですが、これだけロレックスの人気が沸騰してきますと、売れ筋のスポーツ系ロレックスは、販売卸代理店からなかなか入手出来なくなりました。日本ロレックス社自体が販売卸代理店を選別しだし、販売卸代理店に供給を絞りだしたのが原因の一つでもあり、また、日本各地の卸代理店の体力が長年の時計店の衰弱により弱くなっていったのも原因の一つなのかもしれません。今日では、日本ロレックス社が各地域の有力大手時計店を選定しだし、各都道府県の2〜5店舗しか正規品を卸さなくなってきました。当店は正規品を『(株)東邦時計』、『(株)中部シチズン時計(一新時計・経由)』から仕入れていましたが、パパ・ママ店の弱小時計店の為に、ほとんど今では正規品が手に入らなくなってきました。よって、人気のスポーツ系でも潤沢に在庫を持っている有力並行輸入業者から仕入れる様になったのです。当店があくまでも正規品に固執していたら、ロレックスの割引販売もHPでの販売も日本ロレックス社から規制を受け出来なかったものと推察しています。

第213話(NHKにて)

5月24日にNHK金沢支局の取材を受け、6月12日(木)、17時05分〜17時30分NHK総合放送『みまっしワイドかがのと5055』で、お宝拝見「時計職人が大切にしている時計」という番組に私が出演しました。私が大切にしてきた時計は別に高額品でもなく、24才の時にCMW試験に合格した試験教材「19SEIKO懐中時計(Cal.9119A 15石」と「シチズン自動巻腕時計(Cal.6001 21石)」が紹介されました。CMW試験の苦労話や、CMW試験が日本に導入された経緯、CMW試験の内容等が詳しくその番組で述べられました。石川県のみの放映でしたが、NHKの人の話によると、反響がかなりあったそうです。放送時間はわずか15分少々の番組でしたが、取材時間は3時間強にのぼるもので、終わった時にはヤレヤレと思ったものでした。後日、NHK金沢支局のディレクターNさんから電話があり、評判が良かったので「お宝拝見スペシャル番組」を北陸三県(石川県・富山県・福井県)に放送するので、私ども夫婦にNHKスタジオに出演して頂きたいとの依頼が舞い込みました。(NHKに出演するのは2回目になります。随分、昔の話ですが、昭和35年4月にNHK名物アナウンサー高橋圭三さんの司会で人気を博した『私の秘密』にも私は13才の時に出演しました。)やっと一段落着いてホッとしていたのもつかの間、7月16(水)に金沢NHKスタジオに出向いて二時間余りの録画収録をし、7月25(金)19時30分〜19時55分のゴールデンタイムに放送されました。放送の内容は、お宝に込められた誓い、時計職人としての小生の拘り、時計修理にかける思い入れ、時計職人の後継者の育成、技術の継承、等をお話しました。このスペシャル番組も評判が良かったらしく、7月27日(日)午前8時〜8時25分に再放送されました。さすがに視聴率が高いのか、NHKテレビの反響は凄いもので、2、3日店の電話が鳴りっぱなしでした。その中で特に、心に残った修理依頼品をお伝えします。
・金沢市の80才を越えた恰幅のある、ご年輩のI氏から修理依頼を受けたのは、その方の父親の形見のゼニス社製の懐中時計でした。おそらく、大正時代の頃のものと推察しています。(当時は非常に高額品で古い家が一軒ほど買えたほどのものでした。)
・富山県のM様ご依頼の時計は、1965年製のセイコーダイバーウォッチで、その方の父親が魚釣りに出掛ける度に腕につけられた時計で、中の機械がアッチコッチ錆びていましたが是非なおして欲しいという事で修理依頼を受けました。
・金沢市のM様ご依頼のオメガ自動巻腕時計は、どこの時計屋に持っていっても修理を断られ、 諦めて20年間放置してあった時計で、若い時に無理をして散財して買った時計で是非生き返らせて欲しいとの強い要望があり、修理を受けました。これも錆びていました。
・金沢市のM様ご依頼の時計は、シチズンスーパーデラックス手巻き腕時計とウォルサム手巻き腕時計と父親の形見のロンジン懐中時計の3個を直して欲しいという事で持って来られました。
・小松市の若い娘さんM様のご依頼の腕時計は、母親が愛用していたセイコーブレスレット手巻き腕時計で、30年が過ぎているにもかかわらず新品の様な状態を保っているキレイな時計でした。
・松任市の80過ぎのご年輩のK様ご依頼の腕時計は、今となっては懐かしいスイス製ロイヤルプリンス自動巻腕時計で、現役の頃いつも腕にはめていた時計で、非常に愛着があるので是非直して欲しいと頼まれ修理を受けました。
・一番感動した時計は、加賀市からご来店頂いた小綺麗なご婦人のO様からの依頼の時計でした。その方の時計はレディ・セイコー手巻き腕時計で、若い頃にご主人からプレゼントされた時計で、大事に使っておられたそうですが、ご主人が亡くなられて、その後止まってしまいそのまま放置してあったそうですが、テレビを見て、是非この時計を生き返らせて欲しいとの強い熱望があり、修理を受けました。
43年前の古い時計にもかかわらず、オリジナルのケース・メーカー保証書が大切に残してあり、そのご婦人がいかに、その時計を大切に思いを込めて使ってこられたかは、一目瞭然でした。亡くなられたご主人を心からいとおしみ愛されていたのが手に取るように解りました。
・松任市の80過ぎのご婦人の依頼の腕時計は今は亡きご主人さんが、長年愛用してきた時計でした。 セイコー・クロノスという、45年前の手巻き腕時計で、コハゼの歯が欠けていて、ゼンマイが巻けない状態で、どこへ持っていっても修理を断られた時計でした。ご主人さんの生きた証として、息子さん達にこの腕時計を残しておきたくなり、なんとか動く様にして欲しいとの必死の願いがあり、普通なら断るのですが、修理依頼をお受けしました。時計という道具は、人それぞれに何かしらの記念的な思いが籠もった品であるとつくづく痛感しました。NHK金沢支局のアナウンサーWさん(教養があって非常に感じのいい青年)が言っておられた様に、時計の価値は、その時計自体の値打ちよりも、その時計を使ってこられた人の思いや、愛着が大きなウェイトを占めるものであると、この番組を出て改めて知らされました。私はこれからも価値のある腕時計を修理するのは当然ですが、お金では買える事の出来ない人それぞれの熱い思いの籠もった腕時計も出来うる限り修理依頼をお受けしようと思いました。

第214話(シチズン・コスモトロン・スペシャル)

水晶発信腕時計(クォーツ)と音叉式腕時計が出現するまでには、電池で駆動する腕時計はテンプを内蔵した電子腕時計が国内外とも幅を利かせていました(それ以前には接点式の電気腕時計も存在しました)。特にシチズン社は『電子ウォッチのシチズン』と評価される程、電子ウォッチに力を入れ、バラエティーに富んだ電子ウォッチを次から次と発売してきました。その点では一歩セイコー社より先んじていたかも知れません。テンプ式電子腕時計の世界最高峰のキャリバーと言えば、シチズンのCal.7800番台である事に異を唱える人は誰もいないと思います。 それ程、Cal.7800番台は一部の隙も無い程、完全に作られていた究極のテンプ式電子腕時計でした(テンプ式電子腕時計がお家芸であったために、シチズン社が最初にクォーツを新販売したときもステップモーター機構ではなくロレックスと同じようにテンプ内蔵のクォーツでした)。Cal.7801がコスモトロン・スペシャルのペットネームで発売され、Cal.7802がコスモトロン・デイデイトのペットネームで発売されました。ムーブメントの胴経は28.4mm、厚さは6.0mm、テンプの振動数は36,000のハイ・ビートでした。この2機種のムーブメントは姉妹ムーブメントで、Cal.7801には時報合わせ装置がついておりました。ランゲ&ゾーネ社が最近発売したモデルにも、時報合わせ装置を付いた腕時計がありますが、30年以上も前にシチズンはこの機構をすでに腕時計に採用しておりました。『時報合わせ装置』とは、8時の所にあるボタンを時報に合わせてプッシュすれば、正時に対して、時計の進み遅れが3分以内の時には瞬時にして分針と秒針が正時に帰零する、という非常に重宝なシステムでした。いちいちリューズを引っ張って、秒針を停止させ分針を合わせて、時報と共にリューズを押し込む、という不便さは全くありませんでした。この時計は10振動というハイ・ビートの為、メカ式の優秀級クロノメータの精度を遙かに上回る高精度を持っていました。また、ゼンマイのトルク変動に伴う等時性の乱れが全く無い為に、日差+3秒前後というテンプ式調速機ではこれ以上望めない程の精度を一年間に渡って安定して動き続けた腕時計でした。 惜しいかな、この時計も音叉腕時計と同じく、1.3Vの電池を使用している為に、電池生産終了の為、入手が出来ず、修理依頼は最近はお断りしているのが残念でなりません。

第215話(夏の思い出)

1969年に、セイコー社が世界初の市販クォーツ腕時計『SEIKOクォーツアストロン 39S9』を45万円で売り出しました。翌年の1970年には、SSケースに入れて17万5千円にコストダウンをして市販しました。 私の給料がその当時、約3万円だったので、とてもとても手の届く腕時計ではありませんでした。それから月日が30数年経て、クォーツ時計が驚愕すべきコストダウンに成功して、今では定価1000円以下の正確なクォーツ腕時計が買えるまでになった事を思えば、誰がこの価格破壊の事を予想できた事でしょう。今では、低価格の為に小学生の子供さんでも正確なクォーツ腕時計を何個か持っている時代になりました。私の子供時代の事を思えば、今のお子さん達にとって、腕時計とは手の届かない高嶺の花の商品ではなくなった事に違いありません。逆に言えば、今の子達にとって腕時計は欲しくて堪らないと、恋い焦がれる程の魅力のある商品ではなくなった事でしょう。その点を考慮すれば、腕時計に対する気持ちが若干、子供達にとって薄れてきたに違い無いでしょう。その事を思えば少し侘びしいような寂しいような気がしないでもないです(おそらく今の子達にとって腕時計は宝ではなく使い捨ての物に成り下がった事は容易に推察出来ます)。誰もが少額で、正確なクォーツ腕時計が買えるという事は、時計メーカーのコストダウンへの計り知れない努力の賜物でしょう。私が小学校時代、腕時計を必要とした時、例えば、修学旅行、遠足の時、学級委員のみは、腕時計をはめて、学校に行く事が出来たものです。その時、私は母親の手巻きの腕時計をつけて、誇らしげに学校へ行ったものです。滋賀県とか、京都府には、夏には『地蔵盆』という風習があり、各町内には必ずと言って良いほどお地蔵さんが祀ってありました。盆になると、町内の有志の方々が、スイカ、ぶどう、梨、バナナ、メロン等を奉納し、子供達が夕方五時になると、子供達にその果物が褒美として食べられました。時計屋の息子だった私は、その時も母親の腕時計を借りて、五時になるとみんなに告げて奉納された果物を頂戴したものです。『地蔵盆』は町内の子供達が主役で、子供20人が座れるほどの大きな縁台を拵え、『おみやげやぁーす!チンコンカン!ろうそく一本、立てやぁーす!チンコンカン!』と言って通行人に、お布施を頂いたものでした。今から思えば、懐かしい少年時代の腕時計の思い出です。


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