■イソザキ時計宝石店■
時計の小話



第31話(フランスの天才的時計師について)

『ピエール・ル・ロワ』
フランスでの著名な時計師は、ピエール・ル・ロワでしょう。彼は1748年にマリンクロノメーターに使用されているデテント脱進機を発明しました。前回お話ししましたハリソンのマリンクロノメーターは、機構がとても複雑で高価であった為、ピエール・ル・ロワのマリンクロノメーターに1770年頃、取って代わりました。また、温度補正の為に誤差を出来るだけ少なくする切テンプも発明しています。
『アブラハム・ブルゲ』
かの有名なアブラハム・ブルゲは、1800年に重力誤差を受けにくいトゥールビヨン脱進機、1820年に腕時計の巻き上げヒゲゼンマイを発明しました。現在の高級腕時計(ロレックス・IWC等)には巻き上げヒゲが今でも使われており、高精度の歩度が出る象徴でもあります。ブルゲブランドの腕時計も復活し、高級腕時計分野に置いて名声を博しております。
『ヒリップス』
彼は1861年に巻き上げヒゲゼンマイの終末曲線の理論を完成しました。その彼の業績をたたえて、終末曲線をヒリップス曲線と呼ぶようになりました。彼の理論通りの曲線を採用することにより、巻き上げヒゲゼンマイを搭載した腕時計の歩度の精度が飛躍的に良くなりました。
『近代における他の天才的時計師(フランス以外)』
・ロスコフ
1868年にピンレバー脱進機を発明して、低価格の懐中時計を発売しました。
この機構は、水晶発振式のクロックやエレクトロニックのトランジスタクロックが出現するまで何十年もの間、置き時計・目覚まし時計市場に採用された息の長いものでした。代表的な物はセイコーコロナ目覚まし時計等で、中高年の方は懐かしいのではないでしょうか。またスイスのメーカーもこの機構を採用して安物の腕時計を生産し、日本に販売のなぐり込みをかけましたが、日差が2〜3分ほどの誤差が出るため、几帳面な日本人の性格には合わず、あまり売れなかったものです。セイコー・シチズンもスイスのピンレバー腕時計に対抗して、7石入りのクラブツースレバー脱進機の腕時計(セイコートモニー・シチズンキンダータイム)を発売し、市場に問いましたが、こちらの方が精度(日差30秒〜50秒)が良かった為、かなり売れた記憶があります。その為にスイスのピンレバーはあっという間に駆逐されました。
・チャールズ・エドワード・ギオーム
時計業界でノーベル賞を授与した人がただ一人います。その人がギオームです。 1898年にインバー金属(温度が変化しても伸縮しない合金)、1913年にエリンバー金属(温度が変化しても弾性が変わらない合金)を発明して、ノーベル物理学賞を受賞しました。この発明が天府等に採用され、温度変化に影響されにくい調速機が出来たのです。
・リーフラーとショート
最高の精度とされている地球の自転の精度(1日に千分の一秒の誤差)を上回る時計は、各国の天文台の標準時計となっている原子時計です。原子時計の前は、ドイツ人のリーフラーが発明したリーフラー標準時計が天文台の標準時計でした。それをイギリスのショートが自由振り子式標準時計に改良しました。何百年にもわたる、優れた数人の天才的時計師の努力や発明のお陰で、現在の高精度の機械式腕時計が存在するのです。クォーツ腕時計は、まだ歴史が約30年と浅く、機械式腕時計と比較して歴史の重さは比較になりません。最近の機械式腕時計の復興を見るにあたり、一時計職人として非常に嬉しく思います。

第32話(シチズンの機械式腕時計について)

セイコー・オリエントは、ここ2、3年機械式腕時計を開発し発売しています。その点シチズンは、少し出遅れ感があるのは否めないでしょう。「ザ・シチズン」と言う10年保証が付いている超高精度のクォーツ腕時計を発売していますが、機械式腕時計の高精度の物は、まだ再発売していません。セイコーと同じように、シチズンもかつては「シチズン・クロノメーター」と言う手巻きの腕時計を1962年に開発し、発売していました。ムーブは1万8千振動で大型の天府を内蔵しており、長く使用に耐えうる設計がされておりました。この時計も、シチズンブランドでは幻の名機と言えるでしょう。その10年後、グランドセイコー自動巻腕時計に対抗するため、「グロリアス・シチズン」と言う3万6千振動のハイビートの自動巻腕時計を発売しました。読者の方で「グロリアス・シチズン」を知っている方がおられたら、それこそ本当の時計ファンと言えるかもしれません。この時計もグランドセイコー自動巻腕時計に優るとも劣らない精度を保持していました。平均日差は−2〜+3秒で、最大姿勢偏差は5.0秒と言う高精度を持っていました。私はグランドセイコー自動巻腕時計は何度も修理した事がありますが、グロリアス・シチズンは今までに一度もオーバーホールをした事がありません。時計師として、一度は修理してみたい腕時計の一つです。

第33話(スイス・オメガについて)

日本人にとってオメガは、スイスに数あるメーカーの中でおそらく人気が5本の指に入ると思います。腕時計はオメガ、筆記具はカランダッシュ、ライターはデュポンというのが昔の男の夢でした。手取り月給が5万円くらいの時代に、どれも10万円前後する高価な品なので、せっせと働いて手にした喜びは無上のものでした。オメガを腕にして自慢する男達が、かつては沢山いたものです。ゼニスは欧州で、ロンジンは米国で知名度・人気があり、オメガは世界的に名声を博していました。天文台コンクールの御三家と言えば、オメガ、ロンジン、ゼニスで、この3大メーカーが高成績を独占しておりました。オメガの創業は約150年前で、ルイブランが会社を興して時計の生産を始めました。オメガと言えばスイス時計の高精度のシンボル的な存在で、そのことを裏付ける業績の一つに、1932年のロサンゼルスオリンピックから延べ20回以上のオリンピック公式計時を担当していた事があります。また、ジュネーブ・ニューシャテルのスイス天文台コンクール、イギリスのキュー天文台コンクールにおいては常に上位の成績にランクする結果を残してきました。そして1960年代の10年間、スイス公式クロノメーター検査協会が行う機械式腕時計クロノメーターの認定には、オメガ社はいつも過半数近いクロノメータを輩出して、その数は年間10万個数を上回っていました。そのオメガ社には忘れてならない人がいます。ジョセフ・オリー氏です。彼はオメガ社のトップの時計技術調整士で、天文台コンクールに見事な成績をおさめた人です。オメガ社の腕時計と言えば、トップにコンステレーション、スピードマスター、デビル、シーマスターが有名です。オメガのムーブメントは自動巻でも薄型で、ユーザーにも見えない所の地板にも金色のメッキがほどこされるほどの念の入れようで、錆に対する耐久性等を考慮した仕上げがなされており、いともたやすく高精度の出る調速機が搭載されていました。しかし30年前にセイコークォーツが世界を席巻した時に、スイスの各時計メーカーは大打撃を受け、グループの統合・吸収に激しく動き、オメガ社はSSIHグループのリーダー的存在でしたが、SMHグループの傘下に入ったのです。私が若かった頃、オメガの腕時計のオーバーホールをした時は、あまりの美しさに感動したものですが、最近のスピードマスター自動巻のムーブメントを見ても、あまり感動しません。2、30年前のオメガの機械の精巧さ・美しさは、セイコー舎よりも優れていたかなと私は思います。特にキャリバー269、505は歴史に残る名機でしょう。オメガ社には以前のように、どのオメガ腕時計でも時計師がケースを開けて感動するような美しいムーブメントを作って欲しいと願望します。

第34話(脱進機について)

腕時計の脱進機(ガンギ車、アンクル、振り座)には大きく分けて3通りあります。ラチェットツース脱進機、ピンアンクル脱進機、クラブツース脱進機です。現在ではほとんどの腕時計にはクラブツースレーバー脱進機が使用されております。ガンギ車、アンクル、テンプを含めて調速機(エスケープメント)とも呼称されます。クラブツース脱進機は、どのような安価な腕時計でも腕の立つ技術者にかかれば高精度の歩度の出る機構です。50年前に製造された19セイコー(国鉄職員の標準提げ時計で安定したクラブツース脱進機を採用)も確かな調整士にかかれば、今でも日差15秒以内に収まります(ゼンマイトルクが低下しているためゼンマイを新品に交換しなければなりませんが)。 但し、ガンギ車のロッキングコーナー、レットオフコーナーが40〜50年間も使用するとさすがに摩耗しているため、衝撃面を油砥石で磨き、ゆるやかな円弧状になった衝撃面を平らにしなくてはなりません。 当然アンクル爪を出し入れして調整し、難しくて面倒なスジカイ試験をガンギ車の歯すべてにしなければなりません。腕時計になると更に小型になるため作業は困難を極めます。そのことを考えれば、腕時計の寿命は、毎回分解掃除、手入れが正しく行われたとの条件付きで18000振動のもので50年が限界ではないでしょうか。10振動のハイビートの腕時計では摩耗が激しく、その約半分の20年が精度を維持する状態の限界でしょう。 アンティーク時計を購入される方は、そのことを念頭に入れて買われたら如何でしょうか。その点、退却型、及び直進型脱進機を搭載した柱時計、置き時計はメンテナンスをしっかりやり、ゼンマイトルクが弱らなければ、ゆうに80年から100年は使用に耐えられるものでしょう。以前私は農協の理事長室の置いてあった、数十年ほど前に作られた独逸ユンハンス製のウエストミンスターチャイム重鎮式置き時計を3日間かかって修理しましたが、入歯、各種ピン別作して、驚くような精度に戻ったことを記憶しております。旧家の家には、まだまだ使用に耐えうる昔の柱時計、置き時計があるのではないでしょうか。大切にしたいものです。

第35話(スイス時計 インターナショナルIWCについて)

スイスに本社を構える数ある有名時計メーカーの中で、私はインターナショナルIWC腕時計が一番好きです。時計職人でインターナショナルが嫌いな人は1人もいないと思います。人気ばかり先行して、設計力・技術力が伴っていないメーカーはスイス時計と言えどもたくさんあります(あえてメーカー名を言うのは差し控えさせていただきます)。インターナショナルIWC腕時計の修理依頼受けると、他の時計をさしおいて修理をしてしまいます。
待ちこがれた恋人にやっと出会えたような心境です。どのようなインターナショナルIWCであろうとも、期待を裏切る事もなく素晴らしいムーブメントで、修理している時は職人として至福の時間です。インターは、オメガ、ロンジン、ロレックス、ゼニス、ジラールペルゴーとは違って、天文台コンクール、及びクロノメーター歩度公認検定局(B.O.検定)には一切タッチしないで、参加・提出しませんでした。インターの企業姿勢は地味で目立たないのですが、同社は独自で厳しい検査基準を設けて、全ての自社生産する時計にテストして市場に出していました。その精度は優秀級クロノメーターよりもさらに厳しく、許容誤差は0秒〜+5秒以内というものです。耐久性・高精度を考慮して、18000振動から19800振動のムーブで、当然巻き上げヒゲゼンマイを採用していました。簡潔で効率の良い自動巻機構は他のメーカーの追随を許さない代物です(セイコーファイブアクタスの自動巻機構はやや似ています)。故障が起きにくく、修理しやすく、また高精度が出て、長年の使用に耐えられるものは、私見ですがスイス時計の数ある中でインターナショナルIWCが一番だろうと思います。ムーブメントキャリバー8541はインターナショナルIWCの逸品でしょう。インターナショナルIWCはゆうに140年の歴史があり、意外にも米国人ジョーンズによって創立され、それ以降スイス人による経営がなされています。工場はライン河畔のシャフハイゼンにあります。同社の懐中時計は精度が極めて良いので有名で、英国のチャーチル首相も愛用していました。インターナショナルIWC懐中時計にはこんな逸話があります。20数年ほど前、スイスの外交官夫人が北京の骨董品店から購入した銀製のIWC懐中時計(ケースナンバー31385)をスイス本社で調べてもらったところ、1887年5月21日に中国に向けて輸出されたものと判明したとのことです。このことからインターナショナルIWC製の時計はすべてケースナンバーが記録されていると言うことなのです。尚この懐中時計は本社で分解掃除をしたら、日差+3秒まで復元したとのことです。100年も前なのに、その頃からいかに高精度の懐中時計を製作していたかの証明でしょう。インターナショナルIWC腕時計には、インジュニア、ヨットクラブ、ポロクラブ、ゴルフクラブのブランドの腕時計がありました。現在のインターナショナルIWCの企業活動も盛んで、ダビィンチ、マークXV、フリーガーUTC、ポルトギーゼクロノを好評発売しております。もっともっと日本でインターナショナルIWC 腕時計が売れることを、私は心底願っております。このメールマガジンをお読みの方でインターナショナルIWC腕時計を所有しておられる方は、是非とも弊店に修理依頼していただきたく存じます。

第36話(時計修理料金について)

私が30年ほど前この業界入った頃、国産手巻き腕時計の分解掃除は900円で自動巻は1200円でした。高級舶来品手巻き腕時計は2000円、自動巻は2500円位だったと朧気ながら記憶しております(その頃は、床屋代の3倍が時計修理の適正値段と言われていました)。貨幣の価値が大きく変わったとはいえ、ずいぶん高くなったものだと思います。その頃はどの時計店でも1日に5〜6個、分解修理の依頼がきていたのではないでしょうか。修理の稼ぎだけで一家が飯を食えたもので、時計屋は腕を他店より磨く(昔は分解掃除の事を磨きと言っておりました)事に躍起になったものです。メーカーも新製品を出す度にその時計の技術講習会を全国各地で開催し、時計屋の技術力に一目おいていたのも事実だと思います。しかしクォーツ腕時計が登場して以来、修理がほとんどなくなり、技術水準を維持する事なく脱落していった時計店はいっぱいあるのではないでしょうか。
今日では、自店でどんな腕時計でも自信を持って修理できる店はほとんどないのが現状だと思います(店によっては電池交換さえ預かる店があると聞いてビックリしております)。ますます消費者が時計店離れをおこすに違いありません。修理を預かったら、国産品ならメーカーに直送して直してもらったり、舶来品なら輸入総代理店のサービスセンターに出している店がほとんどでしょう。各地方にあった時計材料店も閉鎖して行き、部品の入手がだんだん難しくなってきたのも現実です。 舶来品の修理を依頼受け、部品交換しなければならない場合、材料店に注文しても手に入らない時があります。一部の輸入総代理店のサービスセンターは、部品だけ注文してもなかなか販売してくれません。やむをえずその時に限って輸入総代理店のサービスセンターに修理依頼しますが、どう見ても変えなくても良い部品まで変えてしまってくる場合があり、修理料金をつりあげているなと思うときが度々あります。修理は、部品交換は最後の手段で、あくまでも現状を回復して直すのが本筋だと私は思っております。部品を交換して直すのはただの部品交換屋で、修理屋とは断じて言えません。輸入総代理店のサービスセンターは、各時計店の技術力を推量して(店が持っている資格等を考慮)部品を供給すべきだと思います。ある有名なスイス時計のサービスセンターの預かり期間は、今頃では2か月間という途方もない長さで、どれほどユーザーに迷惑をかけているのかその会社は理解しているのでしょうか。販売数量に見合った技術者を養成すべきか、或いは、もっと日本の時計店の技術を信用すべきではないでしょうか。ユーザーの皆さんに信用され、輸入総代理店のサービスセンターに負けない為にも日夜、技術の研鑽に勤め、ゆめゆめ手抜き仕事をしてはならないと自らを戒めております。ある時計雑誌に著名な時計師が告白していましたが、いっぺんに6個の時計の分解掃除を超音波洗浄機にかけると聞いて私は愕然としました。あってはならない作業を平然となされていることに、あきれ果てて物が言えませんでした。時計職人、あるいは時計修理のいろんなHPを見てみますと、修理料金があまりにも安いのに出会いますが、はたしてどんな仕事をしているのか疑いたくなります。20万30万もするスイス舶来時計を修理される方は、良く吟味して修理を出されるべきで、決して値段につられてはいけないと思います。へたな修理屋に掛かれば、高価な腕時計も 二束三文の時計に変身してしまいます。地方には現役バリバリのCMW時計師はまだまだおられますので、根気よく探して修理のご依頼をされるべきでしょう。彼らはプライドがあり、持って生まれた器用さと言う取り柄もありますが、それよりも大切な、全ての手作業に妥協しないという性格の持ち主なのです。それでなければ、あの難解なCMW試験に合格するはずはないのですから。複雑腕時計を除いて、ロレックス等のスイス高級腕時計の修理料金の上限は4万円が限度だと私は思いますが、読者の方は如何思いますか。弊店では、どんなに部品を交換してもスイス高級腕時計の修理料金は4万円以内で完全修理するように、努力しております。4万円も出せば、国産でそこそこの良いメカ腕時計が買えるのですから。

第37話(歴史上、最高の天才的時計師・ブレゲについて)

トゥールビヨン・巻き上げヒゲゼンマイ・上下振り子式自動巻ムーブ・永久カレンダー・レバー式シリンダー脱進機・ミニッツリピーターのゴングスプリング等、今日でさえ通用し利用されている仕組みを発明したブレゲは、1747年スイスのニューシャテルで生誕しました。彼こそが世界一の天才的時計師と断然しても誰も異論ははさまないと思います。ブレゲがこの世に出現しなければ、100年は時計技術の進歩は後れていたに違いありません。彼の最高傑作(人類が作った最高傑作の時計と言い変えてもよいかもしれません)は、フランスのルイ16世皇后マリーアントワネットから製造依頼された懐中時計でしょう。1783年に注文を受け、出来上がるまで19年を要しました。しかし出来上がった時にはマリーアントワネットは処刑されてこの世の人ではありませんでした。
その懐中時計は、自動巻ムーブ・永久カレンダー・均時差装置・温度計・クロノグラフ・細分引打ち・チョウチンヒゲと補正天府、特別設計のレバー脱進機・中三針・ショックプルーフ等全てを搭載していました。ローターのプラチナ以外は全て金を使用していました。一塊の時計師として、現存しているこの懐中時計を一度は見てみたい物です。しかし、あまりの超複雑さに目が回るに違いありません。

第38話(スイス時計・ゼニスについて)

1865年にスイスのルロックルで創設されたゼニス社は、クロノグラフの名機エル・プリメロを1969年に開発発売したメーカーとして世界中で有名です。現在では年間製作本数は約10万個です。欧州では知名度の高い時計メーカーでしたが、日本では各種時計雑誌の特集で、ここ最近になって噂に上るようになりました。爆発的な人気が起こったロレックスデイトナに、ゼニス社のエル・プリメロが採用されているために余計に人気に拍車をかけたのでしょう。日本に最初にゼニスを紹介した貿易会社は卸商の東邦商事で、ゼニスの日本総代理店になりました。それからリズム時計へ移り、現在は大沢商会が一手総代理店です。私も30年間で、わずかしかゼニスの分解掃除をしておりません。と言うことは、日本では過去においてあまり販売実績がないのかもしれません(ラドー、テクノス、ウォルサム、ユニバーサル、エニカ、オメガ等は数え切れないほどしましたが)。しかし機械式ボード・クロノメーターや懐中時計を製作するメーカーだけに、非常に良い機械だったことを鮮明に記憶しております。30年前のゼニスキャプテン4615SS自動巻腕時計が75000円、と高級時計の範疇にはいる価格帯でした。ほとんどのゼニス腕時計が 5万円以上だった記憶があります(大卒初任給5万円の頃)。また、ニューシャテル天文台コンクールの常連で、いつもトップクラスに成績をおさめておりました。名機エル・プリメロCal3019は36000振動で、クロノは10分の1秒まで計測可能な31石の自動巻でした。ただ、悲しいかな、発売された1969年は時計業界の大変革期(後日詳しく説明します)で、クォーツの大波に淘汰、消え去る運命だったのです。腕時計の電子エレクトロニック化に立ち後れたスイスの各時計メーカーも例にもれず、ゼニス社も業績悪化から異業種のアメリカの会社に買収され、話題にあまり上ることもなくエル・プリメロも消えていったのです。しかし1980年後半、スイス時計の各メーカーの機械時計にかけるめざましい復興により、ゼニス・名機エル・プリメロもシャルル・ヴェルモ氏の努力(破棄命令を受けたエル・プリメロCal3019の設計図面を大切に何年にも渡り保管、秘匿されたのです。この設計図面がなければ、エル・プリメロの復元は不可能だったでしょう)により、見事に復活したのです。ゼニス社は数少ないスイス時計のマニュファクチュウルの一貫生産メーカーでもあります。と言うことは社が存続する限り半永久的にその製品に対して責任を持っていると言う事でしょう。ゼニス・名機エル・プリメロは高精度のクロノグラフにもかかわらず、良心的なリーズナブルな価格でこれから日本でもますます沢山売れていくのに違いありません。
最近ではゼニスクラス・エリート手巻き・及び自動巻を8月より発売しだしました。
このムーブも見てみたい機械です。30年前の機械式腕時計の頂点を極めたころのゼニス社は、オメガ、ロレックス、ロンジン、インターナショナル、ジラールペルゴーと並び表されるスイスにおける確固たるトップの一員の地位にあったに違いありません。その業績は誰もが認めることでしょう。

第39話(水晶時計について)

水晶腕時計の歴史は30年程ですが、標準大型水晶時計は1930年にアメリカのマリソンによって初めて完成されました(そのころ集積回路ICが無く真空管で作ったので、とてつもない大きい物でした)。
日本では東工大の古賀教授が1933年に完成しております。その古賀教授は、1952年に3000KHzという、とてつもない精度の大型水晶時計を開発して、1963年に文化勲章を授与されています。1950年頃までは天文台の標準時計はリーフラ振り子時計(日差0,01秒)かショート自由振り子時計(日差0,001秒)でしたが、水晶時計の出現により消え去る運命でした。日本では地震多発地域のため振り子式はムリがあるため、早くから水晶時計が待ち望まれていました。その為に他国に遅れることなく水晶時計化に早く進展したのでしょう。現在の天文台水晶時計は、日差10万秒の1といわれ300年に1秒しか狂いません。腕時計の分野では最高峰のグランドセイコー水晶腕時計は年差10秒(日差にすると0,027秒)で、機械式のスイス最高級腕時計(ロレックス、インター等、日差5秒前後)の精度の200倍の正確さです。腕時計に精度を要求するユーザーの方は、迷わず水晶腕時計(1000円位の低価格品でも月差50秒位の正確さです)が一番イイでしょうが、人類が作り出した極小の精密機械に憧れを持ち、共鳴出来る人は、多少誤差がでても機械式腕時計の方が心に安らぎを与えてくれると思います。心臓の鼓動のような、あのチィッチィッチィッと発する規則正しい脱進機の音に郷愁を覚えるのは皆さん誰もがお持ちでしょう。
水晶腕時計を製造する高度の技術力をもったメーカーは、世界ではダントツでセイコー舎が一番でしょう。

第40話(ブローバ音叉腕時計・アキュトロンについて)


1960年代初頭にブローバ社が音叉腕時計・アキュトロンを発売した時は、世界中を震撼させるほどの革新的な出来事でした。安定した日差2秒という高精度で1年間電池で動く腕時計に、業界の人々は目をみはったものでした(1秒間に360振動で機械式の70倍です)。はるかに優秀級クロノメーターの精度を凌ぐものでした。当時の価格はSSケースで88000円以上する、とても高価なものでした。なかなか、そう簡単には購入できる腕時計ではありませんでした。脱進機に相当するインデックス車(直径2mm)の円周上に300枚の歯が切られているという超々精密加工で、もはやキズミで見る段階ではなくミクロに近い世界でした。素晴らしい技術の特許のため他のメーカーは音叉時計を作れず、8年間もの長きにわたり音叉時計はブローバ社の独壇場でした。
それから10年後の1971年に婦人用の音叉腕時計が発売されましたが、いかに小型化・軽量化・薄型化が難しいか読者の方には理解できると思います。婦人用の音叉腕時計のインデックス車(直径1,7mm)には240の歯が切られていました。歯の深さは0,01mmという途方もない代物でした。ブローバ社と特許利用協定を結んだスイス・エボーシュ社はスイスに大工場を建て、エテルナ、ユニバーサル等が音叉腕時計を発売しました。しかし音叉時計にのめり込んだ為、スイス時計メーカーが水晶腕時計の開発に立ち後れたものと私は推量しております。そんな画期的なブローバ音叉腕時計・アキュトロンでさえ水晶腕時計の出現により市場から消え去る運命だったのです。現在のブローバ社は業界を賑わすこともなく、何となく寂しい気がいたします。また40年前のように、人々をビックリさせる様な腕時計を開発し、発売して欲しいと熱望いたします。それが出来る技術の蓄積がブローバ社にはあると私は確信しております。余談ですが日本時計師(CMW)前会長、飯田茂先生は、ブローバ社より先だって音叉の安定した振動に注目して高精度音叉腕時計の試作品を製作することに没頭され遂に完成されましたが、あまりに腕時計として大きかった為に商品化には結ばなかったということがありました。飯田茂先生の腕時計に対する熱意・先見性・創造性には、今あらためて驚嘆する次第です。


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