■イソザキ時計宝石店■
時計の小話



第271話(アンティーク、パティック・フィリップの修理依頼)

読者である徳島県のI様から、パティック・フィリップ手巻腕時計 (Cal、23-300 18石 ムーブナンバー1212874  おそらく1966年製?だと思われます)の修理依頼を受けました。 I様のお母様は小生と同じ滋賀県長浜市出身で、I様の祖父にあたる人が 真宗の有名な古刹・大通寺・東別院の裏で医院を開業されていたとの事でした。「祖父を磯崎さんはご存じかも知れません。」と言うメールを頂きました。 パティック・フィリップの修理依頼は時々お受けするのですが、 パーツがなかなか入手できない場合が多く、お断りしているのが実情です。 オーディマ・ピゲのパーツは弊店取引先のT時計材料店でほとんど入手可能なのですが、 パティック・フィリップは入手できたとしてもパーツ代がとても高く、 時間もかかる為、お客様にお断りしているのです。以前にパティック・フィリップの修理依頼を受けた時、 あちこちのパーツが摩耗・損耗している為に交換する必要があり、 パーツを取り寄せる手配をかけたところ、パーツ代のみで20万近くかかった 記憶がある為に、今回のご依頼もお断りしたわけです。I様へ、その旨をメールで返事し、 「I様の祖父に当たる方の医院はM医院ではないですか?」と お聞きしましたところ、「磯崎さんの記憶通り、祖父の病院はM医院です。」と メールで返事を頂きました。 M医院は50年も前から珍しいコンクリート2階建ての病院で壁には蔦が生い茂っていて 北 杜夫氏の小説に出てくるような雰囲気のある建物でした。M医院のM先生には小生が子供の頃から風邪をひいた時や病気になった時に 往診までして頂いて、治療をしてもらった記憶が鮮明にありました。 私の兄弟5人もいろんな病気になった時にM先生に治して頂きました。 その先生はもうすでにお亡くなりになられて30年も過ぎているとのことで、 その形見と言える大事な腕時計を孫であるI様が大事に持たれている事を聞き及んで、 何とかしてこの時計は自分が直さなくてはいけないと思った次第です。 (20年間はこの時計を使用されていないとの事でした)M先生は厳格な風貌で、子供心にも近寄りがたい存在の先生でしたが、目の奥には 優しい眼差しのある方でした (小生の恩師でもある行方二郎先生に風貌が似ていたような気がします)。 M先生のやさしいお言葉一つで回復に向かったような神通力のある先生でした。 インターネットで仕事を始出して、こういう深いご縁のある方々と巡り会える事は とても懐かしく嬉しい事でもあります。一度はお断りしたのですが、修理をお受けする事をお伝えしたところ早速、 I様からの修理依頼のパティック・フィリップが届きました。 裏蓋を開閉する溝が少し特殊な形で、弊店所有の裏蓋開閉器では開けることが出来ず、 開ける爪を修正加工してやっと開ける事が出来ました (裏蓋のパッキングが液状化しており、また錆びていた為に容易に開ける事が 出来なかった訳です)。開けてみてびっくりした事には、素晴らしい光芒を放つムーブメントが しっかり収められていて、何としてでもこの腕時計を 生き返らせなければならないと思いました。 修理が出来上がりましたら、HP上で読者の皆様にご紹介したいと思っております。

第272話(現行の手巻の名機)

往年の傑作手巻きムーブメントを列挙すれば、枚数に暇がない程、 多くの数に上るものでしょう。 現行品で、傑作手巻きムーブメントと言えば、下記のものと言えるかもしれません。 これらのムーブメントを搭載した、腕時計は、100万円以上の高価なものなので、 生産及び販売される数も、限りがある為に、 なかなかオーバーホールをする機会は訪れないものと思い、 少し残念な気が致します。手巻きムーブメントの最高峰に位置づけられるものに、 やはりパテック・フィリップと言われるのが定説になっています。 その中で過去において、 1935年〜1953年に製造されたCal.12-120、1945年〜1950年に製造されたCal.12SC、 1949年〜1970年に製造されたCal.27SC、1961年〜1973年に製造されたCal.27-400AM 1966年〜1971年に製造されたCal.23-300が、つとに有名です。現行のカラトラバRef3919(定価\1,249,500)に搭載されているCal.215PSは、 過去のパテック・フィリップの名機のデザインを踏襲した、素晴らしい出来映えの 機械になっています。 勿論、テンプには、ジャイロマックスを採用し、パワーリザーブは44時間で28,800振動です。以前のカラトラバのムーブと大きく違う点は、角穴車と、丸穴車が地板の上に 出ていて、以前の様に香箱受け地板の下側に隠れている方式とは 大きく違っている点です。 どちらかと言えば、私は今の方式の方が、見栄えが綺麗に映るような気がします。ピアジェの現行の手巻き極薄ムーブメントCal.600Pも パテック・フィリップCal.215PSに、負けない綺麗な手巻きムーブメントです。 ピアジェ社は元々、手巻き極薄腕時計を作るのを得意としている分野で、 このCal.600Pもムーブメントの厚さが2.1mmという薄さで、 毎秒6ビートのロービートに仕上げています。 このムーブメントを搭載した、腕時計も定価\1,375,500と高く、 ついつい買ってしまう、という訳にはいかない代物なのが残念でなりません。もう一つの手巻きムーブメントの傑作は、ミッシェル・パルミジャーニが 1996年にパルミジャーニ・フルーリエ時計会社を興し、 素晴らしい自社開発のムーブメントを次から次へと世に送り出している中で、 手巻きではCal.110でしょうか? この手巻きムーブメントはツインバレル方式を採用した、 8日間のパワーリザーブ機能を搭載している事です。 トノー型の形をしたムーブメントは、斬新なイメージをユーザーに 与えるばかりでなく、スワンネック型の緩急針を採用する事により、 アンティーク調のイメージも兼ね備えている傑作ムーブメントと言えるでしょう。ジャガールクルトの様に、小型のテンプを採用する事により、 長時間駆動が出来るようになったものと思います。 オーデマ・ピゲの『ジュール・オーデマクラシック』に搭載されているCal.3090  6振動もパテック・フィリップCal.215PSに匹敵する機械と言えるかもしれません。新車を一台買って12年で価値をゼロにしてしまうより高級時計を買って 大事に使い子孫代々受け継がれていくようにする選択も 一つの価値観の選択と言えなくもないと思います。

第273話(クィーンセイコーについて)

東京都のH様から、下記の様なメールを頂戴しました、 『40年位前に銀座の服部時計店で父に買ってもらった思い出の時計です。 以来ずっと使っていましたが、5年位前に動かなくなってしまいました。 或る時計屋さんに修理をお願いしましたが、部品が無いので直せないと断られました。もう直らないのかと半ば諦めておりましたが、お店のホームページを拝見し、 同じ時計を修理されたご経験がおありになるとのことでしたので、 磯崎様なら何とかして下さるのではないかと思い、このメールを送ります。 何卒宜しくお願い申し上げます。』という内容でした。このクィーンセイコーは 1966年、第二精工舎で生産されたものです。 Calは1020 23石で、振動数は19,800(5,5振動)ムーブメントの大きさは 15.5mm×13mm厚さ3.5mmで、当時としては、婦人用高級腕時計でした。恐らく、精工舎が、1964年に発売された44キングセイコーの女性版として位置づけて、発売したものと思われます。 地板全体が金メッキされいかにも高級腕時計としての風格を持っている 美しい小型ムーブメントでした。 往年の名機オメガ婦人用手巻Cal,483に少し似ているでしょうか? (3番車,4番車,ガンギ車,アンクルに受石を採用している手巻き婦人用としては 多石と言える機種でした。) 当時の第二精工舎の技術レベルを遺憾なく発揮した時計と言えるでしょう。初代のクィーンセイコーは、1962年に発売された、Cal.330で、 上記のCal1020は二代目になるクィーンセイコーです。 三代目は、1965年に発売された、Cal.2519のものでした。 四代目は1966年に発売された、Cal.2539(Cal.2519の姉妹品)で 五代目が1968年に発売された、8振動の、クィーンセイコー・ハイビ−ト (Cal.2559)でした。 六代目が、1969年に発売された、17クィーンセイコー・スペシャルでした。 このスペシャル版の社内精度等級はLDで、日差−35〜+55というものでした。 最後のクィーンセイコーが1970年に発売されたCal,1020で振動数は21600に変更され 社内精度等級はLAで、日差−15〜+25という精度のものでした。1968年に、発売された、婦人用手巻きグランドセイコー・ハイビート(10振動)の GS規格精度(日差−3〜+12)や、1944ハイービート・クロノメーター女性用 中三針手巻き腕時計の精度LA(日差−15〜+25)よりも、 クィーンセイコーはかなり精度が落ちるものでしたが、 それでも、当時の女性用普及品の精度とは、比較にならない程の、 正確さと言えるものでした。一般的に女性用の機械式腕時計は、小型化した為に、精度が出にくいのは 致し方無いもので、その事が、逆に、GS婦人用手巻きの精度を際だたせる 結果になったと言えるかも知れません。

第274話(『クロノメーター』合格規格品)

機械式腕時計の高精度を保証する称号として『クロノメーター』 合格規格品があります。 1951年にスイス時計製造協会がクロノメーター規格を制定しました。 1969年にセイコークォーツが市場に登場するまで、時計愛好家の人々にとって、 文字板にクロノメーター(Chronometer)と表示されている腕時計を所有する事は、 一つの大きな喜びでもあり、大きな誇りでもあった訳です。日本では、遅蒔きながら1968年に日本クロノメーター検定協会が設立され、 1970年にクロノメーター検定国際委員会(CICC)に加盟して、 国産のクロノメーター腕時計が世界中に認知され始めたのです。 (キングセイコー・クロノメーター、シチズン・クロノメーターがとみに有名です。)おりしも、その時代は、クォーツ腕時計の黎明期と重なった為に、 次第にメカ式クロノメーター腕時計の存在意義が薄れてゆき、 今日、日本で発売される公式のクロノメーター合格規格品の腕時計は、 製造されなくなってしまって一抹の寂しさを感じざるを得ません。 (メカ式クロノメーター腕時計とクォーツ腕時計の精度競争では 同じ土俵の上に立てるものではありませんでした。)今日、日本でもメカ式腕時計の復活・隆盛を観るにあたり、 公式の日本クロノメーター検定協会が再度、復活し国産のクロノメーター腕時計が 再登場する事を熱望しています。当時、日本クロノメーター検定協会は、『優秀クロノメーター成績表示』のものと、 一般的なクロノメーター合格品との二通りのものがありました。 5姿勢の平均日差は、優秀クロノメーターが、(-1〜+10秒) 一般的なクロノメーター合格品は(-3〜+12秒)でした。平均日較差、最大姿勢差、最大偏差の項目で、 優秀クロノメーター成績表示の方が当然、勝れた数字が出ていました。 当初、スイスでは、クロノメーター歩度公認検定局を略して(BO検定)と 呼ばれておりましたが、現在では、クロノメーター検定協会を 略して(C.O.S.C)と呼ばれております。平均日差の精度も、現在の方がより厳しくなり日差(-4〜+6秒)に変更されています。 クロノメーターに準ずる高精度規格品に、独自の検定基準を設定している 時計があります。国産のグランドセイコーには、独自の『グランドセイコー検定基準』があり、 パテック・フィリップ、バセロン・コンスタンタン等には、 『ジュネーブ・シール規格品』があります。 また、ジャガールクルトには独自の『マスター・コントロール』合格規格品が 発売されています。1960年代のメカ式腕時計が圧倒的に席巻を極めていた頃、クロノメーターと言えば、 ほとんどの時計愛好家の人々の脳裏に浮かんだのは、オメガ社とロレックス社の 腕時計でした。 両社共、その当時20万個前後の多数に及ぶクロノメーター高精度機械式腕時計を 生産しており、他社の有名な時計メーカーのクロノメーター合格品は、 市場にほとんど出ていないのが実情でした。中でも、婦人用メカ式クロノメーターと言えば、オメガ社の独断場で圧倒的な 有利な立場にあり、多くの名機を生産しておりました。 当時のオメガ社の名声は、世界中に響き渡りロレックス社に優るとも劣らない と言える時計造りをしていたのです。

第275話(長野県の時計職人試験について)

今月始め、長野県塩尻市のセイコーエプソン社を試験会場にして、 時計職人・時計技術試験が行われました。 1970年代からのクォーツ腕時計の浸透により、労働省主催の時計修理技能士試験の 試験教材はクォーツを主流にして、長年行われてきました。 ここ10年、機械式腕時計の沸騰する様な人気により、機械腕時計を修理出来る 時計職人の絶対数が少ない事に時計店・舶来時計輸入会社・時計メーカー等が 危惧を抱いてきました。 その深刻な悩みを解消する手だてとして、長野県の長野県時計宝飾眼鏡商業協同組合 とセイコーエプソン、シチズン時計が協力しあって メカ式の時計修理技能試験が今年から行われたのです。 長年のクォーツ技術試験を開催してきた為に、メカ式時計の技術試験を 開催する事には、主催者側の並々ならぬご尽力、ご苦労があったものと思い、 ここに敬意を表したいと思います。小生の愛弟子にも2級、3級を受験する様、勧めてみました。 試験が終わり、彼らの受験報告のレポートを提出して貰い、 その試験がいかなるものであったか?判断する材料にしました。 この長野県の時計職人試験が、今後途切れる事無く存続していく様に、 提案したい事が多々ありましたので、当事者の方には是非受験生の真意を 汲み取って頂いて、今後の参考にして頂けましたら、と思っております。 (久しぶりのメカ式腕時計の技術試験のため主催者側に試行錯誤があったでしょうし、 段取りが上手く行かなかったのはやむ得ない事かも知れませんが、 敢えて受験生の立場に立って苦言を呈したいと思います。) 小生が時計修理技能士試験や、CMW試験を受験した時、受験講習会というものが、 主催者側から必ず行われ、当時の超一流の時計技術者の先生がたの講義が 2〜3日間行われました。 時計修理技能士試験を近江時計学校で受験したときは、 CMWの行方二郎先生が、受験生全員が合格する様に、手取足取り懇切丁寧に 時計技術の神髄を教えて頂きました。 (あまりの行方先生の講義の熱心さや迫力さに圧倒され感動の余韻が 受講後も残っていた事を今でも覚えています) 公認高級時計師試験の受験の際には、CMWとして全国に名を轟かせておられました、 飯田茂先生、飯田弘先生、多田稔先生、加藤日出男先生、北山次郎先生、 岩崎吉博先生等が、受験生みんなを漏れなく合格させる為に、 言葉では言いあらわらせられない程、熱心に受験の心構えや、試験内容を詳しく 説明して頂き、時計技術の深遠さを教えて頂きました。 諸先生がたの熱心なご指導により、難関なCMW試験と言えども、 受験生の5割が合格したのでした。 (今回の1・2級の受験生をみんなを合格させるべく試験官の先生方の努力は 余りにも少なかったのではないかと思われて残念でなりません。)今回、長野県の時計職人試験には、1級、2級、3級の3段階に分けて 試験が行われました。 3級の受験生は約20名の方がおられ、その方々を対象にして、受験講習会が延べ 10日間行われたそうです。 その事は、受験生の人達にとっては大変な勉強会になったものと推察します。 しかしながら、3級試験よりも難度の高い、1級、2級試験には、受験講習会が 一日も行われなかったのです。この事は主催者側の準備不足であった事は否めないでしょうし、 受験生諸君にとっては、大変なプレッシャーになった事であろう事は 容易に察せられます。 (試験事務局のセイコーエプソン竹岡一男氏と直接電話でお話ししましたが、 今回の試験では1級、2級の受験生は少ないと予想し敢えて講習会を 開かなかったとのことでした。 しかし、喩え受験生が一人きりであったとしても、講習会は開くべきであったと、 小生は思っております。彼ら受験生は、資格取得試験に臨むにあたり、大げさな言い方かもしれませんが、 人生をその試験に賭けている人もおられるはずですので、その心意気を 感じ取ってあげて欲しかったと思っています。) 受験生諸君は、貴重な時間を割き、大切な費用を使って遠路から長野県まで 出向いているのですから、受験生の立場にたって もう少し配慮があっても良かったのでは?と思います。受験した愛弟子から聞いた所によりますと、腕時計のケースにヤスリで深いキズが つけられていて、そのキズを消して、鏡面仕上げする為にバフ研磨作業に 多くの時間を取られ、本来の技術試験の眼目である、腕時計修理調整の方に 時間をかけられなかったという事でした。 小生が35年間、時計修理作業をしてきて、ケースにヤスリ掛けをした様な キズがついた修理依頼を、かつて一度も受けた事はありません。このバフ研磨仕上げを時計修理試験の試験内容に考案し、及び試験採点をしたのは セイコーエプソン社におられる『現代の名工』の褒章を受けた方等であるとの 事でしたが、果たして、その方がたが何十年に渡り、 いろんな時計メーカーの多種多様に渡る時計修理作業に携わってきたのか? 疑問を感じざるを得ませんでした。またメタルバンドの三折れ部分が極端に壊されていて、 それを修復するのにも多くの時間が取られたという事でした。 こういう受験生からのレポートを受けるに辺り、この時計職人技術試験は 本来の精度調整・修理等の時計修理技術の技量を試す、というよりも、 極端に言えばバフ仕上げ、時計外装部修理を重点に置いて問いかけるような 試験内容であったのではないか?と疑問を持たざるをえません。小生が技能士試験、CMW試験を受験した時、バフ仕上げ等の課題は一切無かったのです。バフ仕上げ作業は、時計修理技術試験で問いかける様なものでは無く、 少し器用な方なら誰でも出来る作業です。時計技術試験で、受験生に問う技量として、学科、腕時計の分解、洗浄、組立、注油は当然求められる基本的なものですが、それ以外にヒゲセンマイ調整能力、脱進機調整能力、部品別作能力が問われるものが普通です。そして、合否の客観的判断基準として、実技は平均日差、最大姿勢差、日較差、復元差、作業点等を総合して合否の決定を下されるものでしょう。そして受験生に郵送された受験要項に、必ず持参すべき工具等が 記載されていましたが、その記載されていない工具が必要とする修理作業が あったという事は受験生の心の動揺を起こさせ、 不安な気持ちで受験させるのはいかがなものであるか?と思います。 テンプの振れ取り作業が、試験課題にあったのですが、この作業をするには、 『テンプ振れ見器』という工具が無ければ出来ないのですが、 この工具を持参しなさいとは受験要項に記載されてなかったのです。テンプの振れ取り作業は、天真入れ替え作業に付随して行うのが普通です。 今回の2級の試験には、天真入れ替え作業は無く、 テンプ振れ作業のみを求めるのは、どうしても不自然な感じがします。 アンティーク時計の場合、天真入れ替え作業をしなくても、 何十年の使用に渡り、テンプが弄られてテンプに振れが出ている場合がありますが、 それでも頻度の低い修理作業と言えます。勿論2級の試験内容にテンプの振れ取り作業を付け加えるのは、 なんら不思議では無いのですが、 その場合は必ず持参すべき工具の中に『テンプ振れ見器』を 明記すべきではなかったのではないか?と思います。試験会場は、カーペット敷きの床であった為に、 試験当日の過度の緊張感に襲われている受験生にとって、緊張の余り、 パーツを飛ばす羽目に陥り床に落ちたパーツを見つけだすのに 時間がかかったという事でした。 当然この様な試験が行われる会場設定には、板敷きの床が理想であります。 板敷きの床の場合には、万が一パーツを落とした場合にも容易に探す事が出来、 時間のロスを防ぐ事にもなります。実技試験時間は、当初2級6時間、1級8時間と決められていましたが、 1.2級の受験生が決められた時間内に終了した方はほとんど無く、 みんなが時間を延長して作業をしたという事でした。 受験生みんなが、時間内に作業を終了しない、という事は、試験内容に無理がある、 と言わざるを得ません。 (作業時間を延長した場合は減点の対象になると事で、その事でも 受験生にとっては心の動揺が起きたと言っても過言ではないでしょう) 主催者側の試験官が、あらかじめ事前に試験課題に取り組んで作業時間以内に 果たして出来るのかどうか? 十分に確認すべきであったのではないか?と思います。今後、メカ式腕時計の修理が全国的にかなりの数に上っていく傾向があるため、 メカ式腕時計の修理職人を早急に育て上げる為にもこの長野県、 時計職人技術試験が真に世間から認められるべく、 主催者側の皆さんには大変なご苦労をお掛けする事になると思いますが、 若い時計職人を育て上げる為に頑張って頂きたい、と思っています。 (資格取得試験が大学受験のように受験生を選びふるい落とすための試験ではなく 、皆が合格する為に指導するようにありたいものです。)また受験生には、試験終了後、合否の連絡がありましたが、 試験教材の腕時計の返還がありませんでした。 受験生は受験費用を払っているのですから、 当然試験教材の腕時計は受験生に帰属するものと思われ、 返還していただきたいと思います。 返還された教材を再度、修理し見直す事により、受験生の技術もさらに 上達してゆくのではないか、と思います。小生も技術試験を受けた時、試験教材の腕時計は全て返還していただき、 受験の記念として大切に手元にのこしてあります。 また、採点の基準の方法が適切では無いと思われ、受験生各自が納得する 客観的な評価で合否判定をしていただけたら、と希望します。主催者側の試験官の諸先生方も小生のこの、『時計の小話』を読んでおられるとの事、 光栄な事と存じますが、非礼な表現もあったかもしれませんが、 受験生の立場にたって、来年度の試験から、 適切で公平な技術試験になるべき、関係者諸氏の方々には 努力して頂きたく思っています。


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