■イソザキ時計宝石店■
続・時計の小話



第1話(定期的なOHの必要性)

丈夫で堅牢な、ケースで保護されているロレックスのメカ式自動巻の頂点に位置するCal.3135でも、 定期的なオーバーホールを怠ると、いろんな、不具合が生じてきて、故障の原因になります。 最近、修理したロレックスの中で、定期的なオーバーホールをしていない為に起こった修理依頼が2〜3個 続きました。1つは、手巻きする時に、異常にリューズ回りが重い状態で、ほとんどゼンマイが手巻き出来ない故障でした。 分解して、良く見ると、丸穴車と角穴車の間にある、中間伝え車の地板にある歯車の受けネジ部が、 油切れ状態で、かなりの期間無理に手巻きをしていたために、ネジ受け部が損耗摩耗して、減ってしまい、 歯車とネジ受け部のアガキが大きくなり、各歯車の噛み合いが深く、手巻きが出来ない状態になっていました。修理する方法としては、香箱・一番車受け地板一式を取り替えるのが一番なのですが、非常に高価な為、交換せず、 摩耗した汚れたネジ受け部を、ハケ手洗い洗浄で綺麗に洗い落とし、グリースを少し多めに注して修理しました。 この様な故障は、3、4年に一回、OHをしていれば絶対起こらないものなのです。自動巻でよくある故障の1つにOHを定期的にしないと油切れにより ローター真が摩耗してローター受けとのアガキが大きくなり、ガタガタになってしまいローターが、ケースに擦れて充分に自動巻が 出来ない故障が起きてしまいます。 これとて、定期的なOHをしていれば、防げる故障の1つです。 ローター真を人工ルビーにすれば、摩耗が防げて、そういう故障は起きにくいと思われるかもしれませんが、 ロレックス社のCal.3135は、ローターと自動巻受けとを、U字型の楔で留めている為にそれが出来ないものと、 推察しています。(人工ルビーを採用すれば楔留めするときに石が欠けてしまうからでしょう)セイコー社のCal.61型やCal.62型は、ローターに偏心ピンが取り付けてあり、 蟷螂の手の様な形をしたマジックレバーとの回転摩擦により、偏心ピンが、細くなってしまうという故障がありました。 これとて、定期的なOHをしていれば、完全に防げる故障の1つです。 (精工舎では改良して偏心ピンを人工ルビーで作っているキャリバーがありましたが それが出来たのも楔留め方式ではなく地板でマジックレバーをネジ留めしている方式だったため可能であったのでしょう。)弊店で、メカ式をお買い上げ頂いた方には、 メカ式は落下・衝撃・磁気・振動に弱いという事を頭に置いて使用して頂きたい旨を、お知らせしていますが、 いかんせん、腕時計は、体の一部につけて使用する為に、いつ何時どんな衝撃が加わるか?解らないものです。 先日、うっかりロレックスを床に落とされた時計の点検依頼を受けましたが、ムーブメントを見てみますと、 ブレゲヒゲゼンマイが、片側に異常に偏心伸縮運動をしている為に、日差20秒の遅れが生じていました。Cal.3135は、メカ式自動巻腕時計としては、最高度の精度調整が出来る機械だと小生は思っていますが、 やはり、落下・衝撃には弱点があり、その原因の一つにCal.3135は、ヒゲ受け・ヒゲ棒を採用していない為に、 このような故障が起きやすいものと、推察しています。もし、ヒゲ受けヒゲ棒の緩急針方式を採用していれば、落下によるブレゲ・ヒゲゼンマイの変形、 という事は防げた可能性はあるのですが、歩度の等時性の安定、微細精度調整の意味では、 ヒゲ受け・ヒゲ棒を外した今のマイクロステラ(ミーンタイムスクリュー)方式の方が優れているのではないか、と思われます。

第2話(大切な時)

太古の昔より、人々は時という概念に強い関心を抱き、原始的な日時計、砂時計、水時計等を考案し、使用してきました。 人々にとって、時間というものが生活にとても重要で価値あるからこそ、 正確な時を計る計器として、『時計』の追求を果てしなく求めてきたのでしょう。 人々とって、与えられた時は永遠ではなく、限られた時間でしかありません。人生とは、その時の瞬間の積み重ねの集積と、言えると思います。 一刻一刻を大切にしていけば、人生の後悔や失望や不安は、 多少は無くなるのではないか?と思います。 順風満帆に人生を過ごせることはほとんど無く、愛別離苦や怨憎会苦、 求不得苦が有るのは当たり前の事だと思われます。 『時は金なり』と言う諺がありますが、時は金では絶対買えないもので、 人生は時という二度と得ることが出来ないものとの執着でもあり 闘いとも言えなくもないでしょう。一代で財を築き上げたM氏は晩年の死の間際に、後10年生き延ばせてくれる名医が いれば100億円出しても惜しくない、と言われたそうですが、 それ程までに時というものは個人にとって貴重なものなのです。 昨今、若き人々がネットで自殺者を募り、亡くなられていく事を聞くに及び、 また苛酷な労働条件の中、身体・神経が疲れ果てて、死を選択する人々が 多いことを知り、とても悲しい思いにかられます。成人するまでにご両親が手塩をかけて多くの愛情を注ぎ、 大変な苦労をかけて育て上げたにも関わらず、 自ら命を絶つという事は、とても慚愧の念に耐えません。 人間は、遅かれ早かれ、人知では計り知れない運命より死を迎えるもので、 焦る必要は全くありません。 折角、この世に人として生まれた以上は、天命を全うして欲しいと 願って止みません。地球が誕生して約50億年という想像を絶する年数が過ぎ去っていますが、 人それぞれの一生は、その長さに比較して、瞬きにも及ばない一瞬だと思います。 その短いとも言える人生を悔いなく生きるには、毎日毎日を精一杯生きる事では ないでしょうか? 人生には、捨てる神もあれば拾う神もあると言います。 明日への夢と希望と情熱を持って、若い人々にはどんな困難なことがあっても 生き抜いていって欲しいとつくづく思います。この世に人間として生を受けるという事は、大変な事であろうと思います。 地球上には、いろんな数え切れない程の幾多の種類の生物が存在しますが、 その頂点に君臨する人として生まれてくる事は、千載一遇のまたとない機会だと 言わざるを得ません。日本では、聖徳太子の尽力により古くから仏教が伝播されていますが、 仏教に時の観念として、 『劫(ごう)・・・天女が3年に1回その羽衣で四十里四方の巨石を磨って、 石の形が無くなるまでの途方もない長時間・・』という 時の長さを表す言葉があります。 (現代では時折、未来永劫というふうに使われたりしています)一度命を失ったら、人々は無量劫に渡って彷徨うという事が言われています。 という事は、再び人間としてこの世に生まれてくる事はほとんど不可能である、 と釈尊は我々に言われているのではないかと思います。 これからの日本を背負う人々には、貴重な時を大事にし、さらに命も大事にして、 生きていって欲しいと心から思っております。

第3話(諸先生の思い出)

昭和55年の弊店開店以来、今日まで時計工具や材料(パーツ)の仕入れは 富山県高岡市にある新谷商店でお世話になってきました。 店主の新谷建三氏は1962年にCMWを取得され、 その後日本時計師会・富山支部の支部長をされていました。 (時計材料店の店主がCMWを取得された事は珍しい快挙と 言えるかもしれません。)白山市から高岡市まで高速道路が完備し、今では40分足らずで 行き来出来るようになり、今まで新谷商店には何回となく足を運んで 色んな物を仕入れさせて頂きました。 富山県には岡本利夫先生、新谷建三先生、山本信雄先生等の 有名なCMWがおられて、富山県にある時計店の時計修理技術向上を目指して、 後進の指導・教育に熱心にあたられました。 その甲斐があり、富山県は全国有数の高い修理技術を持っている店が多い県に なりました。延べ40名にも上るCMWが富山県で過去に生まれました。 (富山県の県民性でしょうか、富山県は商売、勉学に懸命に励む風習があり 有名大学にも多数進学している県でもあります) 小生の故郷・滋賀県では、全国的に超有名でいらした行方二郎先生が いらっしゃったにも関わらず、延べ4〜5名しかCMWに合格出来ませんでした。 いかに富山県の時計店主が、過去において時計技術向上の為に 一生懸命に勉強されてきたか窺い知ることが出来ます。 (県により技術レベルの格差が多少はあったものと思われます。) 新谷先生のお宅の居間には、後進の指導に熱心に捧げられた功績により、 日本時計師会から授与された「フェロー会員証」が燦然と輝いていました。その新谷先生が今月85才で天寿を全うされて、一抹の寂しさを感じています。 今から30〜40年前においては、日本時計師会の幹部でいらした飯田茂先生、 飯田弘先生、小野茂先生、岩崎吉博先生、多田稔先生、岡本清治先生等の 諸先生方が、日本各地からの指導の招聘を受け、 全国各地を駆け回られていられました。。 その献身的なご努力により、日本の時計修理技術は当時、 おそらく世界でトップクラスであった事は疑いのない事実です。

第4話(全時連について)

全国の多数の時計店が加盟している『全日本時計宝飾眼鏡商業協同組合連合会 (略して全時連)』が、ここ数年に渡り、衰微の跡を辿っています。資料によりますと、昭和51年に19,999店が加盟していましたが、 昨年度では、僅か4,940店まで落ち込んだそうです。 この数字は、資本力のある多店舗化している大店との競争に敗れた、 中小の零細時計店の苦戦を表しています。 中小の時計店では、経営者の高齢化に伴い、跡を継ぐ若い人がこの魅力のない 業界に見切りをつけ、参入していないものと思われます。日本各地の町々から、小さな時計店が廃業・閉店に追い込まれていく様子が 容易く想像出来ます。 40年程前、どの時計店でも活気が溢れていた頃、全時連は、 団結力やメーカーに対して発言力があり、それ相応の役割を果たしてきました。 乱売をする時計量販店等にも圧力をかけ、 メーカー、卸商にたいして、ある程度の影響力、拘束力を持っていました。 (一番の貢献大なものに、時計技術の啓蒙を行い 一、二級時計修理技能士試験を全国都道府県にて開催したことでしょうか)長浜市で父と一緒に仕事をしていた35年前頃、長浜市の時計組合 (当時は、20店舗くらいありました)の、組合員(時計店店主)は、 お互いが商売敵にも拘わらず、仲がそれなりに良く、 毎月一回の例会を料亭で開いていました。 酒を全く嗜まなかった父でしたが、毎月喜んで、出掛けておりました。 夜の11時頃、料亭の豪華なご馳走を、ほとんど箸をつけずに折詰めに入れて、 父は帰宅して家に持ち帰ってきていました。子供5人がいつもその時は、夜遅くまで父の帰宅を待っていて、 持って帰ってくるであろう、ご馳走を楽しく待っているのが、常でした。 (厳しくてこわい反面、子煩悩な父親でもありました) あまり波風が立たない長浜市の時計組合でしたが、彦根市に忽然と安売りする X店がこの業界に新規参入してきて、長浜市の各時計店が、 大慌てした事が昨日の事の様にハッキリ憶えております。当時の長浜市の一番店は、セイコー、シチズンを定価販売して、 パイロットやセーラー、プラチナの万年筆をサービスするという事を していました。 他の時計店では、セイコー、シチズンを10〜20%引きをして、 何らかのサービス品をつけてお客様に販売していました。 彦根市のX店が、いきなり、セイコー、シチズンを全品30%オフに したものでしたから、長浜市の時計店は、大騒動になり対策を練る為、 緊急の会合を何回も開いていました。 (長浜市を含む湖北地方の人々までが彦根のX店まで足を延ばしたほど 影響がありました)父は当時、長浜時計組合の副組合長をしていた為に、東西奔走して、 乱売を止めさせるべく、かけずり回っていましたが、 結局、数量を販売する力があるX時計店には敵わず、メーカー、卸商に対して、 なんら効果は無かったのです。 最近では、価格競争を避ける為に、オープン価格の時計商品が 一部出回っていますが、オープン価格の商品は、 ユーザーの方にとって魅力が無いものと思われ、 拡販には至っていないのが現実です。 メカ式腕時計が、ここまで復活して普及してきますと、 中小の零細時計店にとって、時計修理技術をしっかり身につけていれば、 資本力のある大店とて、全く恐れるに足りません。 40年前の様に、各店が時計修理技術を競う様な状況になれば、 腕の良い零細時計店でも充分生き延べられていく手だては、 必ず見つかるのではないかと思います。

第5話(時計専門店のこれからの問題)

この時計・宝飾品・メガネの売上高ランキングや、対前年の 売り上げ増減を資料統計から見てみますと、 今後のこの業界の市場の動向が、少しは解ります。メガネ専門店の、全国売上高2004年度ベスト5は、三城(644億円 1,041店舗)、 メガネスーパー(351億円 450店舗)、愛眼(258億円 317店舗)、 メガネトップ(211億円 334店舗)、日本オプティカル(154億円 151店舗) になっています。 宝飾品専門店、全国売上高2004年度ベスト5は、ミキモト(304億円 11店舗)、 田崎真珠(278億円 54店舗)、ツツミ(271億円 145店舗)、 あずみ(165億円 177店舗)、ベリテ・オオクボ(161億円 117店舗) になっています。 時計宝飾専門店、全国売上高2004年度ベスト3は、安心堂(50億円 8店舗)、 エバンス(43億円 2店舗)、天賞堂(31億円 2店舗)、になっています。メガネ、宝飾品の専門店が、対前年伸び率が、『+』になっているにも関わらず、 時計宝飾専門店は、対前年伸び率が、10%前後の『−』になっています。 メガネ専門店が、ここ数年来の不景気にも関わらず、右肩上がりで、 業績が伸びてきた原因の一つに、多店舗化が容易に出来るという事でしょうか?メガネ店は、時計宝飾品の専門店と比較して、小資本で店舗を開店する事が出来、新人社員教育も短期間で出来るという利点があります。 (米国では、誰もが眼鏡業界に簡単に参加出来る訳ではなく、 公的資格(オプトメトリスト)を取得しなければ、 眼鏡店を開業する事は、許されておりません。日本では、公的資格制度が完備されていない為に、保健所に、 医療用具販売業届けを出せば、誰もが簡単にメガネ店を開業する事が 許されているという、安易な制度になっています。) 宝飾品専門店は、かつて物品税が15%かかっている為に、 所轄の税務署に物品税・販売業者届けを、 出せば、誰でも簡単に業界に参入する事が出来たのですが、 何せ、宝飾品は仕入れに多額の資金を必要とする為に、 誰もが参入出来るはずもなく、宝石の目利きも、数年に渡る修行が必要な為、 簡単には、開店におぼつかないのが、現実でした。一方、時計専門店も資本金がかなり必要であるにも関わらず、 粗利がメガネ・宝飾品よりもかなり、少ない為に魅力が無く、 新規参入するのが、非常に難しい状況と言えます。 また、完全な時計店を運営する為には、常駐する時計職人が必要となり、 メンテナンスの設備にも多額な経費が要る為、多店舗化及び開業するのが、 非常に困難な業種と言えます。3,40年前以上、日本全国のどんな小都市にも何軒かは、あったと思われる 仲間修理業(時計修理専門店)を、今日開業するにも工具設備機器等に最低でも、300万円前後かかる為に、なかなか難しい問題と言えます。日本では、メガネと同じく、何ら資格を取らなくても開業しても法的束縛を 受ける事は、無いのですが、米国ではメガネと同じく、資格を取得しなければ、 時計修理業として、独立する事は、かなわないのです。 今後、消費者を保護する為にも、時計・メガネ業は米国の様に、 認可された資格取得した者のみに開業を許可する方向にいってもらいたいと、 思っています。


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