| ■イソザキ時計宝石店■ |
| 時計の小話 |
第56話(グランドセイコー(機械式)の生産動向について) 当店にはグランドセイコー腕時計(メカ式・SBGR001定価35万円)の受註残が5本あります。セイコーウォッチ販売に注文を出しても、入荷は6ヶ月待ちというものです。担当員に尋ねても、いまの段階では注文をお受けしないと言うのです。おそらく生産体制が整っていない為と思われますが、一番の原因は技術者が不足しているからだと思います。クォーツは全自動ロボットの流れ作業でいともたやすく大量生産できますが、高精度の機械式腕時計は熟練の技術者が必ず必要なのです。ここ数年業績の悪いセイコー舎にとって、高額商品の注文が来て納品できないのは大変痛いと思いますが、1982年〜1992年の10年間、機械式腕時計を製造してこなかったツケがいっぺんにきたものと思われます。裏を返せば、腕の良い時計技術者を充分に養成してこなかった事が今の事態を招いているものでしょうし、その頃の経営者の先の読みが甘かったと批判されても致し方ないと思います。腕の良い技術者は一朝一夕には育たないのです。1967〜68年にかけてのスイス天文台コンクールにおいて、セイコー舎の活躍は目を見張るものがありました。スイス有名時計メーカー(オメガ・ゼニス・ロンジン)との精度競争にほぼ打ち勝ったセイコー舎に、その頃奢りがなかったと言えばウソになるでしょう(スイス時計メーカーから、もはや学ぶべき所はないと言うような)。危機感を持ったスイス時計連合は、CEH開発の水晶時計を開発してセイコーの機械腕時計と精度競争させるほど追い込まれていたのです。精度の面でスイス時計に勝利したと思ったセイコー舎は、それ以降水晶時計一辺倒になり、徐々に機械時計から離れていったのです。現在のセイコー舎が、機械式に関してはスイス時計メーカーに大きく水をあけられてしまったのは、機械式においては精度のみが大切と錯覚した当時の経営者・技術者の失敗でしょう。セイコー舎にとってまだまだ機械式に対して開発研究する課題は沢山あったのです。トゥールビヨン・ミニッツリピター・永久カレンダー・スプリットセコンドクロノメーター等を開発発売すべきだったのです(それぐらいの技術の蓄積は当時あったと思います。セイコー舎の生産能力からいってかなり安い価格の複雑腕時計が出来たに違いないのです)。そうしたら、名実ともにセイコー舎は世界のトップメーカーに今頃君臨していたでしょう。日本人としてとても残念です。一方その後、セイコークォーツクラッシュに打ちのめされたスイス有名時計メーカーでしたが、その後もじっと我慢して、たゆまず機械式時計の火を消すことなく研究開発に没頭して、今のスイス機械式腕時計を見事に開花させたのです。日はまた昇るを信じてクォーツに負けることなく、機械式腕時計を今日まで存続させたスイス時計メーカーには頭が下がる思いです。日本を代表する一流企業の不祥事が多発する現在、ある一面でセイコー舎の良心的な企業姿勢にはとても好感がもてます。儲け話が目の前にぶら下がっているにもかかわらず、とことん納得出来ない、中途半端な商品(グランドセイコー)は出荷しないというセイコー舎の考えには他社もマネをしてもらいたいものです(私はだからセイコー舎の真面目な姿勢・セイコー腕時計が好きなのです)。セイコー舎にとって1960年の発売以来、グランドセイコーはセイコー舎の歴史と誇りと名誉を感じる腕時計なので、中途半端なGSは出荷しないのでしょう。出来るだけ早く腕の良い技術者を焦ることなく養成して市場の要求に応えて欲しいものです。セイコー頑張れ! 第57話(スイス時計 ブランパンについて) 年間腕時計製作本数6千本前後の小さいメーカーですが、世界に名を轟かせている時計メーカーにブランパンがあります。歴史は時計メーカーで一番古く、ジャン・ジャック・ブランパンが1735年にスイス・ヴィルレに創業しました。ゆうに250年以上の歴史がある名門の老舗です(年間生産個数、数千本で非常に優れた腕時計を作るメーカーは、他にランゲ&ゾーネ・ブレゲ・ダニエルロート・クロノスイス等があります。生産個数が多いからと言ってそのメーカーが個性的で優れたメーカーと云うわけではありません。数は少なくとも魅力的な時計を作るメーカーが将来的にも必ずや生き延びてゆくに違いないのです。そこには深い味わいのある技術が歴然と存在するからです)。ブランパンは創業以来クォーツは一切作らなくて、機械式時計のみを頑固に作り続けていました。現在では下記の6マスターピース以外のムーブメントの腕時計は製造していません。確固たる信念が経営者にあるのでしょう。ブランパンも1970年代のクォーツクラッシュによって例にもれず会社存続の危機に遭遇しましたが、オメガのスウォツチ・グループに入ることにより、見事な復活を成し遂げました。特に、1991年に完成した6大傑作複雑腕時計・6マスターピースコレクション(超極薄時計・月齢カレンダー時計・永久カレンダー時計・スプリッドセコンドクロノグラフCal1186・トゥールビヨン時計・ミニッツリピター時計)は、他社の時計メーカーが真似が出来ないもので追随を許しません。時計メッカのスイスと言えども、この6大傑作を独自で全て揃えているメーカーはブランパン以外には見当たりません。ソルボンヌ大学哲学専攻のドミニク・ロアーゾ博士の協力のもと開発成功した、ブランパン1735番は上記の5マスターピースを一個の腕時計のなかに全て収めてしまった超怒級複雑腕時計で、価格はもはや付けられる代物ではないのです。価格を付けるとしたら天文学的な数字になるでしょう。どれもこれも素晴らしい腕時計なのですが、価格が高いのでおいそれと買えるものではないのが残念です。 その1 ブランパンの極薄腕時計…SS(ステンレス・スチィール・ケース)で65万円 手巻き2針…エキストラ・フラットCal2100オートマ…9型中3針日付表示・自動巻(世界で最も薄い)男女両方あり その2 ブランパンの月齢カレンダー時計…SSで119万円日付・曜日・月・月相を表示する極薄型自動巻腕時計Cal6763女性用は世界で初めて開発した、直径21mm厚さ3,2mm その3 ブランパンの永久カレンダー時計…SSで295万円小の月、大の月、閏年を記憶した無修正のカレンダーメカ時計で、2100年まで自動的に行う。水晶時計ではIC導入により簡単に作れるが機械式では時計学史上では驚異的な構造です。23石、27,40mm、フレデリックピゲ社製のムーブ採用 その4 ブランパンのスプリッドセコンドクロノグラフ時計…SSで190万円Cal1186自社開発、21600振動・自動巻・12時間計・30分計・クロノグラフ秒針・スプリット秒針・カレンダー付き・部品総数300ピース以上。スプリッドセコンドクロノグラフとは2つの時間経過を同時に表示できる機能です。 その5 ブランパンのトゥールビヨン時計…プラチナケース・スケルトンで1450万円8日間のパワーリザーブ・カレンダー付き・21mm径脱進機と調速機をキャリッジ(かご枠)に入れて一定周期で一定方向に回転させることにより、姿勢差を自動的に補正する機能を装備 その6 ブランパンミニッツリピター時計…K18ケースで1500万円ハンマーでゴングを叩いてミニッツ・クォーター・タイムをカウンターします。とても美しい音を奏でます。メカ時計では一番の秀逸の作品でしょう。 径20,30mm厚さ3,20mm重さ5,61g これらの複雑腕時計の修理は、熟練の親方時計師(MASTER・WATCHMAKER)のいる当店にお問い合わせ下さい(修理期間は3ヶ月間です)。未熟な修理屋にかかれば、くちゃくちゃにされてしまう危険性があります。PS 個人的には余り好きではなかったのですが、最近カルティエ腕時計のパシャ・クォーツクロノグラフCal053、22石の腕時計のムーブメントを見る機会がありましたが、なかなか奇麗なクォーツムーブでカルティエを見直しました。 第58話(ムーブメントの美しさについて) 機械(ムーブメント)の美しさと言ったら、懐中時計(手頃な価格ではIWC・ゼニスですが、それでも40〜60万円します)か、2針の手巻き腕時計(パティック・オーディマ)が何と云っても一番でしょう。クロノグラフでも、自動巻よりも手巻きの方が美しさでは数段優っております。自動巻ではローターで駆動部分が隠れてしまうのが致命的ですね。特に、バルジュー・ヴィーナス・レマニアの手巻きのクロノは30年〜40年前の物でも本当に奇麗です。見ているだけで感動しますし動いていたらなおさらです。人間ってなんて美しい機械を創造できるのでしょうか。懐中時計はメカ時計の原点で、IWC・ゼニスの懐中時計のムーブメントは素晴らしいの一語に尽きます。懐中時計の針合わせにはリューズ式(現在ではほとんどこれです)の物だけではなく、古くはダボ式・レバー式などがあり、3通りありました。 文字板もグレードによってホーロー製(針を抜くときヒビが入りやすいのでとても神経を使います)・金属ギョーシェ仕上げ・プリント仕上げの3通りあります。精度調整を示す目安として、地板に2ポジション・アジャステッドとか、5ポジション・アジャステッドとかが刻印されていて、姿勢差をどこまで微調整しているのかを簡単に解るように示しています。その懐中時計がどこまで精度を追求しているのか知るには、ポジション・アジャステッド(姿勢差調整)のほか、緩急針のあり方を見ればおおよそ、その懐中時計のレベルが想像できます。ピンセットで動かすだけの簡単な緩急針もあれば、ネジを回して微調整するスワンネック型や、マガ玉型のカム回転式等があり、秒単位の微調整が可能な懐中時計もあります。高精度高級腕時計がどんなに精巧に時間をかけて微調整しても、懐中時計の精度には全くかないません。グランドセイコー・ロレックス・オメガ・ロンジンの腕時計等も真っ青で足下にも及ばないのです。懐中時計の天文台コンクールでは、メカ時計としては空前絶後の日差0,01〜0,02秒を競う、とてつもない精度追求のコンクールだったのです。それほどまでに懐中時計は腕の良い技術調整者にかかれば超高精度がでるのです。皆さんビックリされたでしょう。国鉄の標準提げ時計に使われていた19セイコー懐中時計は価格が安いにもかかわらず、緩急針調整とテンプのチラねじ(ミーンタイムスクリュウ)とで微調整ができるブレゲ巻き上げヒゲの高性能な時計でした。そこが今でも人気の秘密かもしれません。 第59話(贋作について) 先日こんな事がありました。東南アジアのある国で働いている一流会社のビジネスマン(日本人)から、オーディマピゲの懐中時計(ムーンフェイス風)を修理して欲しいと言うメールがありました。その時計は、現地(東南アジアのある国)のアンティーク・ショップで購入した物との事で、友人に預けて弊店に送るから直してもらいたいと言うことでした。オーディマピゲの分解掃除・修理は一生涯で何十回とする時計ではないので、私は嬉しくて宅配されるのが今か今かと待ち受けておりました。そして宅急便でようやく届き封をといてみて懐中時計の文字板を見てみると何となく胡散臭く、まさか贋作ではないかしらと言うことが脳裏を走りました。裏蓋を開けてみてビックリで、程度の悪いコピーのムーブメントが入っておりました。ムーブの地板にはご丁寧にオーディマピゲの刻印までありました。贋作品の修理は受け付けていないのですぐ返送いたしました。友人のお話によると、私どもに送る前に時計雑誌等で有名なアンティーク・ショップ「K店」に一度見てもらったところ、複雑時計で難しくて修理出来ないと言われたそうです。「K店」から本物?のお墨付き(全く頼りにならないものですが)をもらい、イソザキさんに送ったもので悪意は全然ないと言うことで謝っておられました。海外で働いておられるそのビジネスマンの方はアンティーク・ウォッチのファンで、今まで10個以上を買われ、1個当たり1,000ドル以下の代物はないと云う、友人のお話でした。おそらくその懐中時計も1,000ドル以上出して買われたものに違いないと云うことでした(もし、そのオーディマピゲ懐中時計が本物でしたら何百万円という高値がつく時計なのですが)。その方は買うたびに「K店」で見てもらい、これは本物ですとか、これはコピー商品ですとかと店員の人にはっきり言われたとのことで、まさかその懐中時計が贋作と思わず、ご本人も友人もガッカリなされておられました。けっこう有名である「K店」(自前の修理工房もあるところなのですが)の眼識の無さに私は驚きました。以前にお話致しましたが、高額なアンティーク時計を買われる場合は、目利きの出来る人を同伴してアドバイスを受けて購入される方が怪我はないと思います。それにしても、アメリカ在住の時計の小話の読者の人からメールが来たり、東南アジアに住んでおられる方からメールが来たり、インターネットはやはりWWWでスゴイなーと実感致しました。もう航空郵便ってきっと死語になりますね。 第60話(時計修理技術の伝承について) 輸入時計商社のサービスセンターでは時計修理技術者の高齢化が顕著になり、問題化しつつあります。40代後半〜60代の年齢の人がおそらく過半数を占めていると思われます。機械時計が市場に復調してきた今、将来的にかなりのメカ時計の修理がくるものと思われます。しかし、もはや時計店で修理対応はほとんど出来ないだろうと予測した輸入時計商社の経営者達が、サービス部門に対して漠とした不安と危惧を覚え、何とか若い時計修理技術者を養成しなくてはならないと気がつきだしたのです。そこで、輸入時計商社の経営者の有志が集まり、ジュエリーの専門学校であったヒコみずの学校に相談し、協力・賛助金何百万円を提供して、数年前にウォッチ・メーカークラスができたのです。ヒコみずのウォッチ・メーカークラス卒業者の若い人が輸入時計商社のサービスセンターに就職されていることをよく聞きます。その限りにおいて、輸入時計商社の経営者の思惑は当たったと言っていいかもしれません。その一方、滋賀県の近江時計学校では時計宝石店の子弟が多く、卒業後家業を継ぐために郷土に帰って行くみたいです。20代の情熱溢れる若人がこの業界に魅力を感じ入ってこられる事は非常に嬉しいですが、彼らの期待を裏切ることなく受け皿をしっかりしたものにすることは大切だと感じます。メーカーのサービスセンターでもおそらく修理技術者が不足していると思われます。その極端な例として、保証期間中の腕時計の修理依頼が来ると、ほとんどの場合、修理箇所を直さないでムーブメントをゴッソリそのまま交換してしまうという荒療法をして戻ってくる場合が多々あるのです。時計店でも、もはや自前で修理する店はほとんど無くなり、メーカーに修理依頼出来ない時は私設のウォッチ・サービスセンターへ送って直してもらうケースが多いと思います。私がこの業界に入った30年ほど前の頃は、仲間修理という家業の人が人口5万人の長浜という都市にも3軒ほどありました。その人達は自前の時計店を資金的な面で出店できず、他の時計店の修理(下請け)をする事で生計を立てている人達でした。今では大都会には一部残っておられるでしょうが、中小都市ではほとんどいなくなってしまったものと思います。客渡し料金の半分位で請け負っておられたみたいです(現在の比率は解りませんが)。ただ店がないために腕が良くても辛い立場におられました。修理依頼した時計店は何もしなくても半分の修理料金をピンハネしていたことになります。私が少年の頃、難物の腕時計を預かった父がどうしても自分で出来ない時は、その頃長浜で一番腕の立つMA・・さん(一級時計技能士で知事賞受賞・CMW試験を受けられたら必ず合格したに違いない方でした)の所へ持って行くお使いを私はよくやらされました。その方は真面目で無口で本当に職人の鏡のような人でした。小さいながらも私はMさんの仕事を見るのが好きで、邪魔をしないでよく側にいたものです。 私とは年齢差がありましたが、相性が合ったのか良く可愛がってもらいました。そんな事が昨日の事のように懐かしく思い出されます。そのMさんもクォーツ・クラッシュの影響で修理が少なくなり「仲間修理家業」をやめ、他業種のサラリーマンになられたことを弟から聞きました。時計が好きで腕(技術)が一流であったMさんにとって断腸の思いだったに違いないでしょう。せっかくこの業界に入ってこられた若い時計技術者をこのような目に二度と遭わせてはならないと思います。 |
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