| ■イソザキ時計宝石店■ |
| 時計の小話 |
第61話(最近のスイス時計メーカーの動向について) 約30〜40年前の掛時計・置き時計と言えば、1週間巻き・2週間巻、長くて30日巻のゼンマイ仕掛けで動く機械式ばかりでした。止まったら踏み台・ハシゴを持ち出して柱時計のゼンマイを巻くのが世帯主の仕事であり、面倒くさく(30日巻ですとゼンマイを巻くのが女性の人ですとかなり疲れるものです)でもあり又、手のかかるのが楽しみでもありました (軽い地震などで柱時計が傾くと方振り現象で止まったり誤差がでたりする事もありました)。腕時計では手巻きか自動巻がメインで、ごく一部に電池を動力源にした電気腕時計がありました。自動巻腕時計の場合、はずしたら約40時間で止まってしまい、月曜日の朝に時間を合わせるのが日課となり、誰もが苦もなく習慣として何の煩わしさもなくやっておりました。又、メカ式はメンテナンスをしっかりやらないとすぐ故障し、止まったり壊れてしまうとても繊細な機械だと暗黙の内にみんなが解っておりました。3〜5年に一度の分解掃除はやって当たり前で、維持費がそれなりにかかるものだと解っておられました。時間の緩急針調整にお客様はよくご来店されたもので、店とお客様との交流は一杯あった のです。その頃の時計店はそういうお客様で終日中、本当によく賑わっておりました。しかし、約25年前から正確なクォーツの時代になり、使用者にとって腕時計は全く手のかからないものになり、針を合わせたりゼンマイを巻いたりする手間が殆どなくなって しまいました。その為にお客様の時計店への出入りが電池交換・バンド取替以外は無くなってしまったのです。時計店の1日の来店客数は昔と比較して、どの店も大幅に減少しているのが現実だと思います(私がこの業界に入った頃、日本には4万軒の時計店がありましたが、今では1万軒まで減っていると聞き及んでおります。私が育った長浜市(人口5万人)では約30年前には20店舗の時計店が盛業中でしたが、今では数店舗まで減っています。父の店よりも立派だった長浜一のI店、Y店も現在では存在しません。私が住んでいる人口7万人弱の松任市内にも僅か時計店は5軒しかありません。寂しいなー)。クォーツに慣れきってしまった若い消費者の方々が、人気が沸騰してきた機械式を初めて持たれますと、いろいろと戸惑いを感じれられるようです。弊店でもロレックス等のメカ式を売りますと、あらかじめよく説明しておいても、殆どの方から下記の同じ様なクレームが舞い込みます。一番多いのが時間が狂う・すぐ止まってしまうというものです。使用状態を聞いてみますと、腕につけている時間が短かったり、腕を動かすことが極めて少ない事務系の仕事がメインの方に多いみたいです。テニス・ゴルフ・野球等の激しいスポーツをされますと、一時的にテンプの振り当たり現象(振り座がアンクルクワガタに当たる)が起き、歩度が急に進む事になったりします。また、クォーツに慣れているので日差が3〜5秒狂う(機械時計としては優秀な方ですが)と大金を出したのに何でこんなに狂うのかと大騒ぎになってしまうのです。後でよく、こんこんと説明すると解っていただけるのですが、もっとメカ式についてメーカー・時計店は啓蒙しなくてはならないと思う今日この頃です。最近、8日巻以上のロングパワーリザーブの腕時計がスイスの各時計メーカーから発売され ビックリしております。ショパールでは香箱を2個内蔵した9日巻手巻腕時計を開発し売り出しました(217万円)。パテック・フィリップも香箱を2個内蔵した10日巻手巻腕時計を開発し売り出しました(370万円から)。IWCも8日間駆動する自動巻腕時計ポルトギーゼを出しております。これは、従来通り1個しか香箱がないかわりに、長いゼンマイと輪列に1個歯車を余計に使っております(125万円から)。エベラール(49万円)、パルミジャーニ・フルーリエ(328万円)も8日巻手巻き腕時計を開発し売り出しております (ゼンマイ全巻のトルク最大時、どういう仕組みでテンプの振り切り・振り当たり現象が起きないのか中のムーブメントを検証してみたいです)。スイス時計メーカーの機械式腕時計にかける意気込みには驚嘆させられます。こんな時計ですと、メカ式であれ、金曜日に腕からはずしていても月曜日には動いている ことになります。お客様の苦情もきっと減るでしょう。しかしながら何と云っても値段が張るのが唯一の難点でしょう。私もこれらの時計がせめて30万円前後で購入できたら1個は所有したいのですが、何とかならないものでしょうか。30万円でも決して安くはないと思うのですが。スイスの最近のメカ時計は素晴らしいの一語につきますが、0が一個多いのが残念です。 第62話(スイス時計 オーデマ・ピゲについて) 世界4大宝飾時計メーカーの一つ、オーデマ・ピゲ(ジュウ渓谷きっての名門老舗)についてお話し致します。創業は今から125年前の1875年、スイス・ルブラシュにおいて複雑時計を専門に製作していたJ・LオーデマとE・Aピゲの二人によって興されました。年間製作本数は現在15000本前後ですが、どれもが機能的で薄型で魅力のある物ばかりです。マイスターと呼ばれる熟練した時計職人の手作業によって一個一個丁寧に作られています。オーデマ・ピゲは超複雑時計分野に於いて、他のメーカーを圧倒する品々を昔から開発発売しております。特に有名なものは、1889年パリ万国博覧会で発表された超複雑懐中時計 「グラン・コンプリカシオン」で、クロノグラフ・ムーンフェイス・ミニッツリピーター・永久カレンダーを搭載しており、今日までずっと作り続けています。このタイプの自動巻腕時計リスト・ウォッチ・グラン・コンプリカシオン(超複雑にもかかわらずムーブメントの厚さは8,55mm)も開発しております。その他代表的な物に、ロイヤル・オーク パーペチュアル・スケルトン腕時計(780万円・SS/PTケース)、グラン・ゾネリ ミニッツリピーター腕時計 (1800万円)、永久カレンダー腕時計(360万円K18ケース)、オーデマ・ピゲオートマティック・トゥールビヨン(990万円・K18ケース)等があります。キャリバー2003のウルトラ・スリム(極薄手巻き腕時計)は傑作中の傑作で、直径20mm厚さ1,64mmしかありません。このタイプはスケルトンで出ている機種もあります。また、忘れてはならない超高額複雑腕時計にジュール・オーデマ均時差表示付きサンライズ&サンセット永久カレンダー腕時計があります。最近では自社開発したムーブ3090を搭載したリーズナブルな手巻き腕時計を発売しております。正規輸入品ですと定価90万円前後しますが、並行輸入品ですとほぼ半額の50万円前後で購入出来ます。こういった高額腕時計をお求めになる方は正規輸入品を買う方よりも並行輸入品やスイスに旅行した時(チューリッヒ・ブッヘラー時計店等で)に買われる方の方が多いのではないでしょうか。オーデマ・ピゲと言えば、パティック・フイリップとともに世界最高峰の双璧である事には誰もが異論をはさむ余地はないでしょう。私も名を聞いただけで痺れるような身震いがする孤高の時計メーカーです。 第63話(テンプ(天府・人間の心臓部分)について) ヒゲゼンマイには、平ヒゲ(殆どの時計はこれです)・巻き上げヒゲ(またの名はブレゲヒゲ。ロレックス・IWC等の高級腕時計・懐中時計が使用)・提灯ヒゲ(マリンクロノメーターに使用)等があるように、テンプにもいろんな形状のものがあります。チラネジ無しテンプ(またの名を丸テンプ)・チラネジ(またの名をミィーンタイム スクリュウ・マイクロステラとも言う)付きテンプ(高級腕時計用。片重り検査の時、チラ座を入れたりネジ頭を極細ヤスリで削ったりして調整します)・切りテンプ(天文台コンクール等に使用。天輪が二ヶ所切れています)などがあります。高級腕時計に使用されていた切りテンプは、自己補正ヒゲゼンマイの登場により姿を殆ど消しました。テンプのアーム(腕)には2本の物が殆どですが、4本の物もあります。以前にはスイス・ウィラー腕時計のテンプのように渦巻き状のものがあり、アーム自体が耐震性能を備えているものがありました。機械式が全盛の頃、腕時計に衝撃を与えたり固い所に落下させたりすると、天真ホゾ(直径0,06〜0,08mm)折れ・曲がりの為に天真入れ替え作業・及び旋盤にての天真別作作業が頻繁にありました。国産の安価な腕時計は摩擦式が多く、ポンス台で天真をテンプに打ち込むだけで留めるものでしたが、スイスの高級時計は天真にカシメ部(ツバ)があり、旋盤で取り除いてからテンプにはめ込んでカシメるという面倒な作業がありました。下手で横着な時計職人はカシメ部を旋盤で取り除かないで、いきなりポンス台で打ち抜くために天輪の横ブレが起きてしまい、そのような難物を預かると時間が余計にかかったものです。天真入れ替え後には横ブレ・縦ブレをテンプ振れ見器で完全に除去しなければなりませんでした。また、それと同時に片重り器でテンプのバランスを完璧に取らないと姿勢差が大きく出たものです。今では殆ど天真入れ替え作業はアンティーク(耐震装置が付いていないため)以外はなくなり、テンプ一式(ヒゲゼンマイ・天輪・振り座・振り石付き)取替になってしまいました。時計店の技術者の技量を信じていないものなのかどうか解りませんが、その方がメーカーにとって部品の単価アップになり、メーカーのエゴが強く出ていると感じます(良心的なIWCなどはヒゲゼンマイのみでも売ってくれますが、とても高価なものです。しかしながら完全に調整してあるのにビックリ致します。何ら手を加える必要がありません)。脱進機(ガンギ車・アンクル)調速機(テンプ・ヒゲゼンマイ)の微調整が出来れば、もう一人前の時計師と言えるでしょう。 第64話(スイス時計 バセロン・コンスタンチンについて) 日本にはセイコー・シチズン・オリエント・リコー等の時計メーカーしかありませんが、スイスには夜空に燦然と輝く綺羅星の如く多数の素晴らしい時計メーカーがあります。ブランパンと並び、世界最古の歴史を持つバセロン・コンスタンチンもその一つです。創業は1755年で、ジャンマルク・バセロンがスイス・ジュネーブに興しました。その後、フランソワ・コンスタンチンが共同経営者に加わって現在の社名になり、今日まで世界有数の宝飾芸術時計メーカーとして発展しております。現在の年間生産本数は15000本前後でしょう。高精度機械時計のレッテルとして最高の名誉を与えられているジュネーブ・シールを、パティックとともに与えられている二つのメーカーの一つです。マルタ十字を紋章としたバセロン・コンスタンチンは、時計ファンなら誰もが憧れる数少ない時計メーカーの一つでしょう。トゥールビヨン等の複雑時計を製作出来る技術を当然持ち合わせておりますが、奇異を衒うより、それよりもクラシカルでスタンダードな手巻き腕時計・自動巻腕時計等に優れた時計をいくつも輩出しております。殆どK18YGかK18WGの貴金属ケースで、手巻きでも100万円位はします。一つ一つをマイスター時計職人(キャビノチェ)が手作りで製作しており、非の打ち所のない完璧な仕上げをしています。1932年に1,2mmの手巻きのムーブを開発し、ケースに入れて総厚さ2,2mmの超極薄腕時計を発売致しております。こういった育まれた技術の伝統は長い時を経てこそ出来るもので、歴史の浅い日本の時計メーカーにこれを求めるのはどだい無理な相談でしょう。有名な商品群には、手巻きヒストリカル・トップワインダー 155万円、自動巻ヒストリカル・トゥールドイル 150万円、自動巻パワーリザーブラウンド 185万円、手巻きキャビノチェ 145万円等があります。時計師として身を立てた以上、一生涯に一度は自分の腕につけたい腕時計の一つには違いありません。余裕があれば買いたいスイス時計は一杯あるのですが、なかなかそうたやすく問屋は卸しません。ここ数年、猫も杓子も(言葉が悪くてすみません)ロレックス、ロレックスでいろんな時計雑誌もロレックスの特集ばかりで、少し食傷気味の私にとって、バセロン・コンスタンチン、オーデマ・ピゲ、パティック・フィリップ にもっと日が当たって欲しいと願うのは私のみでしょうか。いつの日にか仕事をリタイヤした時、妻と二人でノンビリとスイス時計工房巡りの旅行をして、上記の時計を購入する事が私の夢であります。 第65話(日本時計技術の恩人・山口隆二先生について) 山口隆二先生は一橋大学で長年教鞭をとられ、時計産業史を専門に研究されてました経済学者です。その先生が昭和20年代の戦後混乱期に所有していた2〜3個のスイス高級腕時計を時計店で修理してもらったところ、滅茶苦茶に壊されてしまいました。イイ意味で口の悪かった先生は、その頃の時計店を「くそったれ屋」とまで誹謗中傷 されていたのです。そう言われても仕方がないほど、当時の時計店の修理技術は悲惨だったのです(理論は全くなく経験とカンが頼りの時代)。時計が好きであった先生が、自分の大事にしていた時計を修理するどころか壊されて しまったら、怒り心頭になってしまうのは仕方がないでしょう。とても立腹された先生は、何とか日本の時計店の修理技術レベルを上げたいとあれこれと苦慮されたわけです。海外の文献を調べ上げ、当時米国で何十年に渡り行われていた時計師技術試験(初級と上級CMWの2つがある)の導入をはかられたわけです。そういう経緯で日本で初めて時計師試験が行われたのが、米国時計学会(HIA)日本支部主催のCMW(公認高級時計師)試験だったのです。それは昭和28年の事です。その時の日本支部長になられたのが井上信夫先生(服部セイコー修理部部長・後日トップ合格者に井上賞)でした。それから毎年数名のCMW合格者を生み、日本の時計店・及び時計メーカーサイドの技術レベルも格段に進歩し、一時は日本の時計メーカーよりもCMWの技術の方が上を行く時代があったのです。CMWが日本時計産業のレベルのかさ上げをしたといっても過言ではないのです。その理論的中核におられた先生が、第1回CMW合格者の、末 和海先生(時計店経営からロレックスサービス部長そして東証第2部上場ジェコー時計役員までのぼり極められた人)と小野 茂先生(オリエント時計設計技師長)です。その後CMW試験は発展し32回まで続いたのです。山口隆二先生は全国各地に出向いて沢山の講演をされ、スイス時計産業の話とか時計師の心構えとかを熱心にお話されていました。(株)村木時計(現(株)ムラキ)が菅波錦平先生を中心として行っていた時計技術通信教育の最高顧問になられた山口先生は、通信生に対していろんな薫陶を授けられました。 私もその時の受講生の一人です。日本時計技術を語るとき、忘れてはならない恩人が一杯おられるのです。次回またこういうお話をしたいと思います。 |
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